跳 剣  10

イラスト/舞うカモメたち 満月の月明かりの下、炎が揺らめいている。いくつもの揺らめきの中で、影と影がぶつかり、交差し、倒れていく。
 修羅場。ひと言でこの場所を表すにふさわしい言葉。
 もう、どれほどの時間が過ぎただろう。 リンは、周りの状況を感じ取ろうと動きをとめた。道場の建物の周りすべてが戦いの場になっていた。ドラクが連れてきた門生たちの数は漣 に残った者たちよりも遥かに多かったが、何人もがすでに逃げて山を下っていた。地面に倒れているもの、立てなくて座り込んでいるものの数も増えた。空気は 血臭で満ちている。

(戦って何になる・・・・・・)

 横から襲ってきた刀を反射的にはじき返し、 リンはまたひとり、腕と足の腱を切った。男は倒れたが、それは負傷だけが原因ではない。傷を負ったことへのショックも大きいのだ。この 中に、実際に人の命を奪ったことがある剣士はいったいどれほどいるというのだろう。

(戦っている相手は同じ島の人間なのに)

  リンはドラクの姿を探して道場の裏に走った。そして、見つけた・・・・・クレガと向き合っているその大きな姿を。

(いた・・・・・)

  リンが二人の方へ駆け出したその時、クレガの身体が膝から地面に落ちた。

「クレガ!」

  リンの声を聞いて振り向いた二人の男の顔にはどちらも笑みがあった。クレガの静かな微笑、ドラクの憑かれたような笑み。

「泣いているのか、 リン・・・・・」

 ドラクの揶揄する声に リンは左手を顔にあてた。頬は濡れていた。自分でも気づかなかった涙は、戦いの理不尽さにこらえ切れなくて流れ出たものだろう。

(もう、やめにする)

  リンはクレガの前に立ち、ドラクと向き合った。ドラクを説得する気持ちはなかった。これはもう、ドラクを止めるしかない・・・・深い傷 を負わせることになっても、或いは自分が死ぬことになっても。

(ゾロに・・・・断られてよかった・・・・・)

  リンの唇に微笑が浮かんだ。もしもゾロが リンを認めてくれて、ルフィたちが リンを仲間にしてくれていたら、全員を戦いに巻き込んでしまっていただろう。これはゾロたちが戦う必要も意味もないものだ。誰にも意味 がない。
 セラクはこれを予想していただろうか。弟と リンが互いの命を狙って剣を交えることを。

「お前を殺して連れて帰る・・・・・そうすれば、おまえは・・・・」

 ドラクはすでに自分が言っている言葉の意味を分かっているようには見えなかった。思わず リンは目を逸らしたくなった。この島に来て初めてドラクに会った時、すでにセラクとドラクの間の確執は深いものになっていたが、それで もどこか、互いを認めているところが見えた。いや・・・・セラクは死ぬまでずっとドラクの道を否定しなかった。道が別れたことを悲しみはしても、相手を否 定しようとは思わなかったのだ。ドラクも、そういう兄を言葉で貶めることはあっても実際に手を出そうとはしなかった。 リンが島に来た当初、道場を訪れて黙って リンの修練の様子を眺めていたこともあったのだ。
 セラクの死。あれがドラクを大きく変えてしまった・・・と リンは思った。弟にとって兄はいろいろな意味で大きな存在だったのだ。心のバランスを崩したドラクが、なぜ リンに執着するのかは分からなかったが、分かったところで何も変わるものはないのだと リンは思った。
  リンは剣を構えなおした。身体全体、特に腕に疲労がたまっているのが分かる。長引かせるわけにはいかなかった。

「もうすぐだ・・・・」

 ドラクが前に出た。 リンは振り下ろされる刀を受け止めた。重い。腕にちょっと痺れが走った。

(でも・・・・・ゾロの打ち込みよりも軽い!)

 1歩退いて体勢を立て直した リンはドラクの右腕がさっきよりも赤く染まっているのを見た。クレガと戦ったときの傷だろう。クレガは見事にドラクの利腕を捕らえてい たのだ。

(セラクさん・・・・・・)

  リンは心の中でセラクの名をつぶやいていた。再び突っ込んでくるドラクの剣を流し、その懐に飛び込む。

リン・・・・・・!」

 ドラクにはどうする術も残されていなかった。刀を投げ出して リンの身体を捕まえようとしたが、その時には リンの剣はドラクの身体を貫き、 リン自身はドラクの後ろに駆け抜けていた。ドラクが、一瞬自分の胸につきたてられた剣を不思議そうに眺めた。そして・・・・その顔から は次第に表情がなくなっていき、身体は横になりながら地面に倒れた。
  リンは黙ってドラクの身体に近づき、剣を抜こうと力を込めた。しかし、無理だった。

「わたしをそこへ・・・・・」

 クレガが声をかけた。足をやられたクレガは地面に跪いていた。 リンは彼の元へ急いだ。

「待っていて。・・・・だいぶ静かになってしまったけれど、まだ戦っている人がいたら、やめさせなければ」

「剣を持たずにですか・・・・だめです!」

  リンはクレガの両足の傷を確かめ、上衣の帯を解いてしっかりと縛り付けた。

「待ってて、クレガ」

  リンは立ち上がり、近くに倒れるものたちの様子を確かめながら、歩いていった。
 その時、小さな人影が前庭側から走ってきた。

リン・・・・・・」

 思わずクレガが呼びかけたとき、その人影は剣を抜いた。

リン!」

 クレガは立ち上がろうとして、うめいた。
  リンは少年と見つめあっていた。震える手で剣を持つ少年の瞳は恐怖に揺れていた。

「もう・・・・・やめよう」

  リンが声をかけると少年の手に力が入った。この少年の心には何があるのだろう。 リンの命を取ろうとする意志はどこからくるのだろう。大人たちと同じものが少年の瞳にも見えるのだろうか。
 少年の刀には汚れも曇りも見えなかった。

(これが初めて・・・・・・かな・・・・)

  リンは黙って立っていた。剣を振りかぶる少年は唇を噛みしめていた。 リンはそっと腕を広げた。

(冷たい・・・・・・・)

 剣を振り下ろしながら飛び込んできた少年の身体を リンは剣ごと受け止めた。身体の表面に食い込む刃の感触。それでも リンは少年を離さなかった。その小さな身体はガタガタと震え、口からは泣き声が漏れ始めていた。

「大丈夫だから・・・剣を貸して・・・・・」

  リンは少年の肩に手を置いて、静かに顔を覗き込んだ。熱いものが身体の中から流れ始めるのがわかる。震える少年は剣を地面に放り出し、 座り込んだ。 リンはその場を離れ、クレガの方へ歩き始めた。

「大丈夫だから、町へ帰って・・・。他の人にももう終わったんだと教えてあげて」

  リンの言葉を理解したのかしないのか、少年は駆け出していった。

リン!」

  リンが戻るとクレガは手を差し伸べた。

「さあ・・・・わたしを中に連れて行く力はあなたにはない。中に入って、わたしの医療箱を持って来てください。今なら、まだ間に合う・・・・」

  リンは建物に目を向けた。そこから視線は静かに上がり、最後に空に向いたところで止まった。

「空が白っぽくなってきた・・・・・」

 薄明がはじまっていた。 リンの唇に微笑がのぼった。

「夜明けが来る・・・。クレガ、わたし、行かなくちゃ。・・・・きっとじきに誰かがここに来てくれます。それまで、お願い。もう・・・全部終わったから」

 確かに、いつのまにかあたりは静まり返っていた。

「港へ行くのですか?・・・・・手当てが先です!」

  リンは首を横に振った。

「港には行きません。・・・・でも、早く行かなくちゃ・・・・」

  リンの視線は山の方に向けられていた。そのまま前に歩き始める・・・・・道場が建つ土地のさらに奥に向かって。

リン!」

 クレガの声が響いた。 リンはそのまま足を速めた。赤く染まりはじめた衣類の上から傷を押さえる。

(ごめんなさい・・・・)

 自分の行動が普通ではないことは分かっていたが、 リンはやめようとは思わなかった。何人もの人を傷つけて命を奪ったこと自体がもう普通ではないのだ。今は自分の気持ちのままにしたかっ た。



  リンには山の中にとっておきの場所があった。道場の奥から続く細い道を登っていくと思いがけずに崖の上に出る。海に向かって少し張り出 した崖の上は少し狭いが平らにひらけていて、腰を下ろすと背もたれにちょうどいい岩まで転がっている。 リンはよく修練の後に好きな書物を持ってそこに登った。そこからは港を見下ろすことができて、入ってくる船も出て行く船もよく見える。 もしかすると今見えている船にゾロが乗っているかもしれない・・・・・・そんなことを思いながらついこの間まで港を眺めていたのに、今ではなんだか遠いこ とのように思える。
  リンの歩みは次第に遅くなった。身体の中からどんどん熱が外へ出て行くような感じが続いていた。

(もう少し・・・・のはずなんだけど)

  リンは距離感を失っていた。次第に明るくなっているはずなのに、周りの風景がかすかにしか見えないのが不思議だった。夜明けに船を出 す・・・と言ったルフィの声が何度も繰り返し蘇ってくる。

(ゾロに会えてよかった・・・・ルフィたちにも会えてうれしかった・・・)

 だから港を離れるメリー号を見送りたい。 リンの心にはそれしかなかった。
 よく見えなかったが坂道が終わったことが リンには分かった。記憶と感覚を頼りながら手を前に突き出して進むと、予想通り、硬い岩に手指先があたった。 リンはホッとして崩れるように腰を下ろした。潮の香りが漂ってきた。 リンは港があるはずの方向に目を向けた。・・・・・しかし。

(向こうに港が見えるはずなのに・・・・おかしいなぁ)

  リンの周りはさっきよりも暗くなっていた。もうすでに闇に近い。遠くに波の音も聞こえている気がするのに、視界は開けない。

(だめなのかな・・・・・。ゾロ・・・・・・)

 岩に寄りかかった身体は、もう動かすには重かった。瞳にいくら力を込めても結果は同じだったので、 リンはあきらめて目を閉じた。そうした方がメリー号の姿を思い浮かべることができた。

(ああ・・・・船が出る・・・・)

  リンはポケットに手を入れて、手に触れたものをそっと引っ張り出した。

2004.9.7

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