跳 剣  12

イラスト/舞うカモメたち リンを抱いたゾロが道場に戻った時、クレガは準備を整えて待っていた。床に広げられた白布。ガラスのビンや治療に使うと思われる細かな器具が整列している 黒い箱。不自由な足でここまでするには相当苦労したに違いない。ゾロは リンの身体を布の上に横たえた。

「あんた、医者かい」

 クレガは リンの上衣に手をかけて、ふと気がついたようにゾロを見上げた。

「少し下がって見ないようにしてください。きっと リンさんはあなたに傷を見せたくないでしょう」

 クレガの口調は最初に会ったときと同じ、感情をみせないものに戻っていた。

「・・・ああ」

 ゾロは数歩下がるとクレガのほうに背を向けて胡坐をかいた。

「わたしはセラクさんに医術の学校に行かせてもらったのです。本当の医者には及びませんが、多少の心得を身につけました。剣士に怪我はつきものですから」

「セラクって男は無茶はやらない男だったんだな」

 道場内に消毒薬の匂いが広がった。クレガの口からかすかな声が聞こえたような気がしたが、ゾロは振り向かなかった。

リンは、どうだ」

「できるだけのことをやってみます。」

 道具箱をかき回すような音が響いた。
 しばらくの間、ゾロもクレガも口を開かなかった。

(傷を縫っているのか・・・・・)

 ゾロの肌の表面が、縫合する時の痛みを思い出してピリピリした。 リンの声は聞こえない。おそらく、まだ目を閉じたままなのだろう。

「ロロノア・ゾロ。あなたは、なぜ リンさんを認めないのです。わたしの目には、あなたは リンさんの強さを十分感じたように見えましたが」

 問いかけるクレガの声は静かだがどこか鋭く響いた。ゾロは腕を組んだ。

「こいつは自分の場所を見つけたんだと思った。あんな顔で笑ってたし・・・・・前には見たことがねぇ。居場所を見つけたんならそこから離れる必要もねぇだ ろう」

「そう リンさんに言ったんですか?」

「いや・・・・・・」

 ゾロは頭を掻いた。クレガはまたしばらく黙り込んだ。

「道場の他の連中はどうした。死んだのか?」

「死んだものもいますが、山を下りたものもいるはずです。ドラクが倒れた後、戦う理由を持った者などいないのですから。あなたがすれ違った中には漣と海 嘯、両方の剣士がいたのです」

「・・・・区別はつかなかったな」

リンさんは戦うことに意味がないと繰り返していましたが、それを実感したのでしょう。どちらの道場の人間であっても」

「あんたには意味があったのかい」

 ゾロは珍しく突っ込みたい気分になっていた。淡々と語るクレガの言葉の裏には別のものが感じられてしかたがなかった。

「・・・・ リンさんのあんなに心を許した笑顔を見たのは、わたしもはじめてなのですよ、ロロノア・ゾロ」

 ゾロは思わず立ち上がり、後ろを振り返った。クレガもゾロの方を向いていた。

「治療は終わりました」

 ゾロが近づいても、 リンは目を開けなかった。顔の色がひどく青白い。切り裂かれて血まみれだった衣類はクレガの手で着替えが終わっていた。

「大丈夫なのか」

「血を多く流しすぎました。ちょっと時間がかかるでしょう」

 クレガはゾロに向かって2本のガラス瓶を差し出した。

「痛み止めと消毒薬です。痛み止めは熱さましの効果もあります」

「・・・・・・さっきのはどういう意味だ」

 ゾロは瓶を眺めたまま受け取ろうとしなかった。クレガの唇に微笑が浮かんだ。それには少し陰があった。

「言ったとおりのことです。 リンさんのあの笑顔はあなたが原因なのですよ。わたしがこれまで知っていた笑顔はいつもどこか抑えたり気遣ったり・・・・・自分の場所 がどうこうというのは、あなたの勘違いです。ここにいたのは夢のためなのですから」

 ゾロは返す言葉を思いつかず、だまって横たわった リンの傍らに膝をついた。白い額にうっすらと汗が浮かんできたのが見えた。熱が出てきたのかもしれない。触れてみると額は熱かった。

「あんたはどうする。町に下りるのか」

「この傷の処置に少し時間がかかると思いますが、多分その間に誰か顔を見せるでしょう」

 クレガは自分の傷を指し示した。

「そうか」

「心配なら無用です」

(こいつもなかなか強いだろうな)

 ゾロはクレガを見た。足の傷はかなり痛んでいるはずなのに、顔色一つ変えない強さ。

「ちょっと隣の部屋へ行ってみてください。そこに、衣類や身の回りのものをまとめてある荷物があるはずです。・・・・ リンさんは荷物を完全にほどこうとはしなかったのです。そのまま持っていけば、大丈夫なはずです」

 ゾロは言われるままに隣の部屋に入った。寝台と机が目に入った。机の上には本が山積になっている。

(本好きは変わってないか・・・・・・)

 ゾロは寝台の脇に置いてある包みを見つけた。あまり大きくない。肩にかけて部屋を出ようとしたが、思い直して本の山から適当に数冊とって包みに押し込ん だ。
 道場に戻ると、クレガが2本の瓶を差し出した。ゾロは黙って受け取って荷物に加えた。それからふと思い出して外に出て、裏のドラクの遺体のところへ行 き、その胸から リンの剣を抜く。

(あいつの背に鞘はなかったな・・・・・・)

 地面を見ながら少し歩き回ると、前庭のはずれに落ちている鞘が見えた。剣を収めて腰の3本の刀と一緒に差し込む。刀よりも長いので少し歩きにくかった が、なんとかなりそうだった。
それからクレガの前に戻り、 リンの身体を抱き上げる。ここに運び入れたときよりも体温が高く感じられた。クレガはゾロの腰の剣に視線を向けていた。

「あんたをいっしょに担いでいくこともできるが。・・・・・このままこいつと別れていいのか?」

「遠慮しておきます。この方がお互いに楽でしょう」

「わかった」

 歩き出したゾロの背中に、クレガが最後の声をかけた。

「あなたが来てよかった」

「さっきは怒ってたように思ったがな」

 振り返らずに歩くゾロは、その時たしかに後ろでクレガが微笑むのを感じた。



 外はすっかり明るくなっていた。
 ゾロはなるべく リンの身体を揺らさないようにゆっくり歩いていた。途中、気配を感じて足を止めると、それは通りに面した建物の2階から覗いている子供 のものだった。

(なんだ・・・こいつ)

 少年にはどこか必死な感じがあった。

「生きてるのか」

 少年の声は震えていた。

「死んじゃいねぇ」

「ほんとか」

「ああ」

 少年は目を擦った。そしてひとつうなずくと奥に引っ込んで窓を閉めてしまった。それと同時に窓の下のドアが開いて二人の男女が走り出てきた。

「本当に申し訳ない!それと、息子を無事に帰してくれて、何と感謝を・・・・」

 深々と頭を下げながら一気に話し出す男と、今にも泣き出しそうな顔をしている女。

「待て。俺には事情はわからねぇし、今こいつには聞こえねぇ」

 ゾロは一歩退こうとしたが、後ろからも人が近づいてくる気配を感じた。後ろだけではない、右からも左からも、町の人々がゾロを遠巻きにしはじめている。 その中には包帯を巻いた姿が少なくなかった。

「大丈夫なのか。傷は深いのか」

 人々の視線は リンに集まっている。

「俺にはわからねぇ。クレガって奴に訊いてくれ。あいつも足をやられてるから、誰か行ってやるといい」

 人々の間にざわめきが走り、数人の男たちがその場を離れて走り去った。

「あんたは港に泊まっている船から来た人だろう。その子を連れて行くのか、外へ?」

「約束だからな」

「道場はどうなるんだ。ドラクも死んだという話だし・・・・」

「もうこいつには関係ない」

 ゾロは リンの身体を抱き直した。

「こいつは連れて行く。道をあけてくれ」

 ゾロの身体から迸る気に押されるように人々はゾロの前をあけた。そこへ小さな姿がまろび出た。

(やっぱりな)

 ゾロは少年の涙でグシャグシャになった顔を見た。

「ごめんって伝えて。俺、怖くて・・・・。殺されると思ったんだ」

「剣士は理由なく誰かを切ったりしないもんだ。覚えとけ」

 ゾロの声の調子は柔らかかった。思わずこぼれだした涙を一生懸命にこらえる少年の横を抜けて、ゾロは港へ下りていった。
 心地よい海風が吹き始めていた。

2004.9.9

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