「ねえ、いつゾロと知り合ったの?」
ナミの部屋。海賊というイメージからは程遠い上品で落ち着いた部屋の中で、
リンは嬉しそうに本棚を見つめていた。
「本が好きなんだ。見てもいいわよ。船をもらったときから置いてあった本も多いの」
リンは本棚の前に移動して、背表紙を眺めた。しっとりとした物語、童話、料理・・・・そこに混ざって海関係の書物がたくさん並んでい た。気象、航海記、伝説、そして海図。
リンは机の上のペンと広げられた紙を見た。
「ナミさんは海図を描くの?」
「よくわかったわね〜。わたしはね、存在するあらゆる海の海図を全部描きたいの。だからここにいるわ」
「あらゆる海・・・・。長い旅・・・・」
「そうね。まだまだ先は長いわね〜」
リンは笑うナミを眩しそうに見た。見張り台で
リンに海の広がりを見せてくれたルフィも同じように眩しかったのを思い出す。おそらくこの船はこういう顔をできる人間ばかりが乗り合わ せているのだと感じる。ゾロは・・・・あの男に会うためだ、多分。
「ねえ、あなたはずっとこの島で剣の修行をしてきたの?」
「・・・・1年半」
「え、まだそれだけなの・・・・?それで道場を預かってるわけ?すごいじゃない」
「本当は、わたしじゃない方がいいと思うんだけど・・・・・」
リンの呟きが静かに響いた。
(いろいろあるってわけね・・・・)
ナミは
リンを見た。恐らく自分より少しだけ年下の
リン。その横顔は一瞬はっとするほど綺麗で強い気持ちが現れていた。
サンジがキッチンから次々に料理を運び始めると、船上はにぎやかに盛り上がり始めた。テーブルを甲板に持ち出してしつらえる。ナミとウソップが手伝いに 借り出され料理と飲み物を運ぶ手伝いにまわり、ルフィは「危険人物」として椅子に座っていることを命じられた。
リンは船べりに軽く寄りかかって、その光景を眺めていた。離れていても楽しそうな雰囲気がいっぱいに伝わってきて自然に口元が綻ぶ。そ んな自分が少し不思議だった。
「おまえ、だいぶ変わったな。それに・・・強くなった」
いつのまにか隣にはゾロが立っていて
リンを見下ろしていた。
「あの時に全部断ち切ることができたから。・・・・ゾロのおかげです。・・・・ゾロ、あの・・・・」
リンが言いかけると、ゾロはそれを遮った。
「俺はあの男に会った・・・・海上レストランで」
リンは瞳を見開いた。
「鷹のような目をした男・・・・・」
「そうだ。で、見事に負けた」
リンは無言でゾロを見上げた。ゾロの表情に苦しみはなかった。
「あいつはグランドラインから来た。そして、自分を超えてみろと俺に言った。俺はこの船でグランドラインへ行く。あいつに会うまでにもっともっと強くなら なきゃいけねぇ。じゃないと未来の海賊王に迷惑かけちまうしな」
リンはルフィの方を見た。ゾロが誰のことを言っているのか、すぐにわかった。これまでに様々な剣士たちを見てきた
リンの目に、ルフィは底が知れない感じの少年に見えた。明るくて、広くて、そしてきっと桁外れに強い。ゾロがルフィに信頼の気持ちを抱 いている様子からもそれがわかる。
「くいなさんとの約束も・・・・」
リンは微笑んだ。
「ああ、そうだな」
ゾロがうなずく。
「ゾロ・・・・・」
再び
リンが真剣な口調でゾロの名を呼んだ時。
「さあ、
リンちゃ〜〜〜ん!料理も飲み物も準備できました!ナミさんもお席へどうぞ〜〜〜〜!」
・・・・なんだかサンジの印象を変えたくなるような声が響いた。
「ほら、野郎ども!レディのあとからちゃんと席に着けよ!乾杯するまでつまみ食いするなよ!特にそこのくそゴム!」
・・・・今度は男らしい声のサンジだった。
「アホのことは気にすんな」
ゾロが低くつぶやくのが余計におかしくて、
リンは噴出した。そんな
リンの様子を見るゾロの表情がまた複雑になった。
(・・・・これが本当のおまえなんだな・・・・)
そんなゾロの姿をサンジは黙って眺めていた。
新鮮なサラダのドレッシングはサンジのお得意、ワイン風味。大皿に山盛りのパスタ。魚介類のマリネ。大きな骨付き肉。不思議な風味のある冷たいドリン ク。
あっという間にものすごい量の食事が食卓から姿を消した。
リンはすっかりルフィの食べっぷりに見とれていたので、サンジが熱心に給仕しなかったらすっかり食いはぐれていただろう。
(でも、いい顔してくれるじゃねぇか)
サンジは煙草を咥えながら笑みを浮かべた。
リンは決してたくさん食べる方ではなかったが、料理を口にするたびに少し驚いたようで嬉しそうな顔をした。その顔には「美味しい」とい う言葉が見えた。
実際に
リンはサンジの料理の一つ一つの味わいに感動していた。記憶にある限り、
リンはこれまで食事を楽しんだことはなかった。食事とは生きるために食べ物を口にすることであり、強くなるために食べなければならない ものだった。しかし、サンジの料理を口に入れると、自然と笑みを浮かべてしまう。舌の上に広がる様々な世界が料理を口にするものを魅了するのだ。
笑顔を浮かべたままサンジは視線をずらし、ドリンクを口に運ぶゾロを見た。
リンの方を眺めているゾロはいつもとは違う柔らかな感じに見える。
(惚れたはれたほど単純じゃねぇみてぇだけどな)
リンが顔を上げてその視線がゾロとぶつかると、ゾロの顔から表情が消える。
(さっきからあんな顔してたくせに、
リンちゃんには見せねぇってわけかよ)
「さあ、
リンちゃん、一緒に飲もう!なんだ、全然グラスを空けてないじゃない」
サンジが
リンの隣に座って乾杯の仕草をすると、ゾロは二人から完全に目をそらした。
(おもしれぇ・・・・)
サンジは大声で乾杯した。
薄闇が広がり始めた頃、
リンは道場に戻ることにした。思いがけなく長い時間をメリー号で過ごしたことに気がつく。
「ねえ、ほんとに送っていかなくていいの?ゾロなんかいつも暇なんだから、全然構わないのよ〜」
ナミが心配する。町人たちの異常な雰囲気を思い出したのだろう。
「大丈夫・・・・この町にはもう長いし」
リンは縄梯子の方に歩いていった。
「なあ、
リン!明日も絶対に来いよ!俺たち、買出しあるから明日はまだここにいるけど、明後日は朝一番で船を出すんだ。絶対に顔見せろよ!」
ルフィが言うと
リンは笑顔でうなずいた。そしてまっすぐな視線をゾロに向けたが、ゾロが視線をそらしたままなのを見ると、そのまま縄梯子に手をかけ た。
「お〜い、
リンちゃん!こんなクソマリモは気にしないで、また明日〜〜〜」
「そうだ、そうだ!」
肩を組んだまま手をふるサンジとウソップに手を振り返すと、
リンは港に下りた。
歩き出す
リンの姿をゾロは黙って眺めた。右手の位置がいつでも背中の剣を抜ける状態にあるのが見てとれる。
(自分の町って感じじゃねぇな)
遠ざかっていく後ろ姿はやがて灰色の影の中に消えた。