「欲しいだけ求めたら、お前を壊しちまう気がする」
こんな言葉を言わずにはいられない時を。
誰が想像できただろう。
ゴーイングメリー号の深夜。
サンジは汗を拭いながら入ってきたゾロを見て、黙ってボトルの栓を抜きテーブルに置いた。ゾロは、一瞬足を止めて訝しげにサンジを見た。けれどサンジが 何も言わずに煙草に火をつけたので、そのまま素直にテーブルに向かって腰を下ろした。
一口あおったゾロの喉が音をたてた。
「ゾロ、おまえさ、デートとかしたくならねぇの?・・・・
リンちゃんと」
ゾロを斜めに見下ろすサンジの視線がなんだかいつもと違う気がして、ゾロは切り返さずにボトルを傾けてもう一口飲んだ。
そんなゾロの反応に、サンジは心の中でうなずいた。フレックル諸島の祭りの日からもうどれくらいの日が過ぎただろう。あれからゾロも
リンも普段は前と全然変わったところは見えなかったけれど、それでもサンジの中には確信があった。ゾロの沈黙はそれが正しいことを告げ ている。
「ちゃんと言葉で伝えたり、態度で示したりしないとよ、ダメなもんってあると思うぜ?」
サンジの声が妙に素直だったから、ゾロはちょっとタイミングを外した。
「・・・・うるせぇ、ラブコック。てめぇのナミへの態度がその『ちゃんと』って奴なら、俺は真っ平ごめんだ」
ゾロは一気にボトルを空にした。サンジは薄い色の煙を長く吐き出した。
「ま、筋肉マリモには無理な話だよな。ったくクソ不器用な奴だせ、てめぇはよ」
(それと、
リンちゃんも、だけどな)
サンジ、心の中でつけ加える。
サンジの口調がいつもの軽口に戻っても、ゾロは黙って何も言わなかった。
(ちっとは頭ん中にしみたかよ)
思わずもう1本栓を抜いてやろうかな、と思ったサンジだったが、思い直して明日のための仕込をはじめることにした。練子を作っておこうかと粉をボールに ふるい出す。ちらりと横目で窺うと、ゾロはまだ宙を見つめたままの姿勢で動かない。サンジがボールに卵を割りいれて香りの高い油を数滴垂らす間も、ゾロは 身動きひとつしない。
サンジはそのまま手早く仕込みを続け、すっかり朝の準備を終えてしまった。
「おい。俺はもう寝るぜ?」
サンジが声をかけると、ゾロは顔を上げた。
(へぇ〜)
そのゾロの表情が、とても落ち着いたもので、普段とは違い・・・穏やかといってもいい感じに見えたので、サンジは少し驚いた。
「俺はこれから見張りの交代だ」
「ああ、そうか。今は誰が上に登ってたっけ?」
「・・・・あいつだ」
ゾロの声のその響きはサンジの記憶にしっかりと刻み込まれ、それからしばらくの間ふとした時に頭の中に蘇ってサンジを苦笑させた。
(こいつ、もしかしたら俺なんかよりずっと・・・・・・)
「じゃ、先にいくぜ、大剣豪さま」
サンジはゾロを残してラウンジを出た。上を振り仰ぐと月明かりを受けて銀色に光るものが見えた。
(幸運を祈るぜ、
リンちゃん)
サンジの唇に微笑が浮かぶ。サンジの指は挨拶代わりのように、短くなった煙草を海にはじいた。
船の上空は風がすこし強かった。
登っていくゾロの視線に入ってきた
リンの顔はまっすぐに前を向いている。下からではその表情までは見えなかったが、それでもゾロにはわかる気がした。瞳の真剣な色、軽く 引き結ばれた唇。風に当たっている頬はきっとほのかに紅潮している。
(アホか、俺は)
空中で止まったままゾロはため息を漏らした。と、それを聞きつけたのか、
リンが視線を下ろしてゾロを見た。彼を認めた瞬間に
リンは笑顔になった。それが余りに無垢で喜びを隠さないものだったので、ゾロは咄嗟に言葉が出なかった。
「ゾロ。もう交代の時間なの?」
「ああ・・・もう少しでな」
ゾロは弾みをつけて一気に見張り台に登り、
リンの隣に立った。驚いたように見上げる
リンの顔をゾロは静かに両手で包み込んだ。
「冷えてるな」
手の中の
リンの目の周りや頬が見事に赤くなったので、ゾロの口元が緩んだ。
「次の島に着いたらよ・・・」
言いながらそっと
リンの髪をほどくと、ゾロは右手で銀色の髪を梳くように愛撫した。
リンの表情には葛藤が見えた。そのまま甘えて目を閉じてしまいたい気持ちとそれを止める心のささやき。
(ゾロ・・・・・・)
どうしたらよいかわからなくて、
リンがそのまま立っているとゾロは
リンから手を離した。途端にその大きな手のぬくもりが恋しくなって・・・・
リンは小さく息を吐いた。するとその大きな手が伸びてきて、
リンの頭をゾロのたくましい胸にそっと押し当てる。
「次の島に着いたら、一緒に降りるぞ」
頭の上から低い声が聞こえた。
リンがうなずくと、頭に乗っている手が背中に回り、一瞬強く抱きしめられるのを感じた。
腕がほどかれると
リンはそのまま見張り台のへりを越えた。見上げるとゾロの視線があった。
リンは無言でその視線を抱きしめたまま下に降りた。