朝食にはフルーツをつけたい。
できれば朝のもぎたての。
朝一番の光を浴びてまだ露が乾いてないくらいの奴がいい。
「あんた、本当にうまそうな奴を選ぶのがうまいねぇ」
顔馴染みになった露店の爺さんが言う。ったりめェだ、先ずは素材選びがコックに必要な第1の能力だ。
「爺さんのとこの果物ははずれがねェからな。また来るぜ」
爺さんは挨拶代わりに顔中にクシャッと皺を寄せて笑った。
通りを歩いていくと、顔馴染みになった店々の主やら店員やらが陽気に手を振ってくる。
「今日は遅番かい?ランチタイムには出てるのか?」
「ああ、昼前の仕込からちゃんと腕ふるってるぜ」
「うまいもん、食わせてくれよ〜」
俺が働くレストランは小さいけれど、いい店だ。流れ着いた時は閉店寸前。仕方がねェ。オーナーの息子、店のシェフが事故で亡くなっちまって数ヶ月が過ぎ てたらしい。そこへ偶然転がり込んだ俺をなぜかオーナーは追い出さなかった。で、今に至る。
(帰ってきたかな。)
階段を登りながら、俺は同居人の気配を探っていた。俺が起きた時にはもう外へ出たらしく、同居人の部屋は空っぽだったから。
多分、トレーニングに行ったんだ。
「ただいま〜〜っと、やっぱり戻ってた?今何か作るからね」
振り向いた
リンちゃんは髪をタオルで拭いていた。
窓から差し込む光の中で、その姿はなんだか透けてしまいそうな感じがした。また少し、痩せたかもしれない。
それでも俺に向けて微笑む笑顔はいつも変わらない。
あの時、まったく違う顔を見せた
リンちゃんのことをなぜか思い出してしまう。
あの日、突然訪れた・・・・別離。
突然の嵐はそれこそハリケーン並みの異常気象だった。
ナミさんの顔に絶望の色を見たと思った瞬間に、大波と雷がメリー号を襲った。メインマストが傾いてくる音が嵐の騒音の中で聞こえなかったから、気がつい たときにはバラバラになった船体の破片の間に体が浮いていた。
破片の中に目立って大きな奴がひとつあり、俺たちは自然とそこに必死で泳ぎ着いた。ゾロはルフィを抱え、俺はロビンちゃんの顎を浮かせながら、そして
リンちゃんがチョッパーを連れてその破片に手を伸ばした。
(ナミさんとウソップは・・・・・?)
慌てて見回すと、二人は互いに助け合うようにして泳いできた。ナミさんの顔に浮かんでいるのは痛々しいほどの後悔の念。航海士として思うところがあまり に多いことがわかった。そのナミさんに「大丈夫だ、とにかく大丈夫だ!」と叫びながら泳いでいるウソップがいて、男を感じた。メリー号を他の誰より大切に しているあいつ。ショックはあとから来るんだろうが、とにかく、あいつは死に物狂いで頑張っていた。
全員揃って身体を預けると、破片が大きく揺らいだ。
まずい。こいつは全員を支えるだけのもんじゃねェ。
瞬間的に手を離したのは俺とゾロ、そして
リンちゃんだった。そのタイミングが悪かった。ちょうど次の大波が眼前に迫ってきた時で、折れたマストが大きく振られて不気味に回転し た。その回転する方向に浮いていたのは
リンちゃんの銀色の頭だった。
(やべェ!)
俺がそっちへ行こうと数回波を掻き分けたとき、怒鳴り声が耳に飛び込んできた。
「・・・を頼むぞ、アホコック!」
俺は見た。緑色のゾロの頭がものすごい勢いで
リンちゃんのほうに近づいてくる。俺は
リンちゃんを挟んでゾロと反対側にいたから、その顔までは見えなかった。と、
リンちゃんの体が大きく俺の方に押し流された。
リンちゃんはあいつの名前を呼んでいた。
夢中でその細い身体を捕まえた時、一気に波が俺たちを襲った。
灰色の波の中に飲み込まれていくマストの先端とゾロの頭・・・・・それが俺が見た最後の光景だった。
次に見たのは眩しいくらい青い空だった。
打ち上げられた浜辺に大の字になっていた俺の身体は、なんだか全然自分のものじゃねェみたいだった。
(2度目だな・・・・・・難破すんのはよ)
クソジジイの顔が浮かんだ。
ぼんやりと思う俺の手は何か冷たいものを握っていた。
冷たくてちょっと硬い。
途端に記憶が蘇り、飛び起きた途端に全身がミシミシ鳴った。
俺が掴んでいたのは
リンちゃんの左手だった。
(みんなは・・・・・あいつは!)
浜辺にいるのは俺と
リンちゃんだけだった。打ち上げられた木切れがほんの少し・・・あとはそれだけだった。
「
リンちゃん!オイ!」
思わず細い肩を掴んで揺すると、
リンちゃんはすぐに目を開けた。よかった。生きてる。
「サンジくん・・・・・・?」
俺は
リンちゃんの両目を手で覆い隠したい衝動に襲われた。見せたくねェ・・・・こんな、誰もいない場所。
その時、俺はどんな顔をしていたんだろう。心ん中が丸見えだったに違いなかった。
リンちゃんの表情が見る見る曇り、体が震えだしたから。
リンちゃんは立ち上がった。その視線が必死で浜辺を見回した。それから波打ち際まで走って行って、声にならない声で名前を呼んだ。繰り 返して全員の名前を呼んだ。それから、涙の中であいつの名前を何度も呟いた。
別離の予感。
俺たちはその予感をどっかにやっちまいたくて、そのまま浜辺を端から端まで早足で歩いた。体の痛みはどうでもよかった。そのまま港まで歩き続けて漁師た ちに尋ねまわった。救いの手を差し出してくる男たちから離れて街に入り、とにかく探した。
暗くなる頃にはもうダメだとわかっていたが、それでも俺たちは浜辺に戻った。震える身体を寄せ合いながら、波が打ち寄せるその源を見つめ続けた。待って いれば連中がここに流れ着くかもしれない。いや・・・・その時俺の頭に浮かんでいたのは、メリー号に乗ったいつもどおり島に上陸する前の盛り上がりムード なみんなの姿だった。
狂っていたんだ、多分、あの時は。俺も
リンちゃんも。
互いの体温だけを心の支えにして、海を見つめ続けた。
高熱で意識を失っていた俺たちは漁師たちに助けられた。
聞けば街に連れて行ってくれようとする男たちの手を振り払って、俺も
リンちゃんもずいぶん抵抗したらしい。怪我人が何人か出たと聞かされた。・・・・・身体が弱っていてよかった。じゃなきゃ、死人が出て たかもしれない。
先に目を覚ました俺は、ずっと隣りのベッドで眠る
リンちゃんを見ていた。
薬による無理やりな眠りは
リンちゃんには辛そうだった。繰り返し嵐の夢を見ているのがわかった。涙を流しながら名前を呟くその声が俺が呼べない分も呼んでくれて いる気がして、俺は自分の正気を保つことが出来た。
熱が下がったとき、
リンちゃんはすっかり喉を嗄らして声が出なくなっていた。
小さな街。
陽気で明るいこの街は、漁業と同時に果樹栽培などの農業も盛んだった。潮風を遮る大きな山の存在がそれを可能にしていた。
一文無しの俺たちは、町の人に勧められるまま病院で数日を過ごし、それからすぐに仕事を探した。先立つものがなくてはどうにもならない。俺はレストラン に、
リンちゃんは島でただひとつの郵便局に仕事を見つけた。どちらも噂がすぐに耳に入る場所だ。
そうして俺たちは待った。
みんなの消息が入ってくるのを。いや、ナミさんがあの奇跡の航海術で俺たちの居場所を探し当ててみんなで見つけてくれるのを。みんなも難破した状態は同 じだから、すぐにホイホイと海に復活できるはずはない。それでもきっとやって来る。迷子になったとき、俺たちは動いちゃいけねェ。一番確実なナミさんと船 長ルフィを信じて待つしかない。・・・・できれば、あのクソ剣豪を先に見つけて一緒に連れてきてくれたら・・・・・。
そうして1年が過ぎていた。
リンちゃんは朝食を全部食べた。やっぱり、トレーニングの後はちょっと生き生きしている。
「
リンちゃん、今日は休みだろ?」
「うん。サンジくんは遅番ね」
互いのスケジュールを確認して言葉を交わす。そのことがどれだけ心を軽くしてくれただろう。俺がもしもヤケになって馬鹿な行動をとっちまったら、
リンちゃんに迷惑がかかる。一人きりにさせちまう。それは俺には我慢できねェし、あいつとの約束を破ることになる。
気がつくと、
リンちゃんはまるで俺の考えを読み取るようにちょっと首をかしげて微笑んでいた。
「あの日もゾロの誕生日だったね・・・・」
(そんな風に言えるほど、強くなったんだ)
俺は食後の煙草に火をつけた。
「あいつはケーキなんて食わねェから、とにかく上等の酒だけは準備しといたんだけど。全部海に呑まれちまったなぁ」
「今年は・・・」
リンちゃんが呟いて、窓の外に目を向けた。
綺麗な横顔だった。
11月11日。
今日は、またあいつの誕生日だ。
「ケーキでも作ってみるかい?夜中になっちまうけど」
にっこり笑いながら
リンちゃんの目はまだ海を見つめていた。
あきらめるのが強さだって言う連中もいる。でもそれは違う。昔の俺ならもしかしたらあきらめて顔にも言葉にも出さない方を選んでいたかもしれない。で も、それだって、実は心のほんとの奥でどうしても待ち望んでいることには変わりはねェんだ。それなら、素直に一生懸命待ってる方が潔い。今の俺はそう思 う。
もう仕事に行く時間だったから、俺は立ち上がってジャケットを着た。
「なんだか、どきどきする・・・・・」
囁きながら見つめ続ける
リンちゃんに手を振って外に出た俺は、そっとドアを閉めた。