昨夜から仕込んで寝かせておいたスープは火にかけるといい感じの香りをたちのぼらせた。
朝食メニューを引き上げてランチメニューを並べながら、店のオーナー、ルネさんがテーブルの最終チェックをしていた。テーブルはほんの5卓。カウンター は横に1列10席。二人で腕をふるうにはちょうどいい席数だ。
「何かあったのか?」
ルネさんが訊いてきた。普段は無口で何一つ詮索しない人なんだがな。
「いや、何も。今日は知り合いの誕生日なんですよ」
「恋人か?」
・・・俺はあやうくスープの鍋をぶちまけそうになった。
「いやだなぁ、そいつは野郎で、前に同じ船に乗ってた奴ですよ」
「あの子の誕生日じゃないのか?」
あの子というのが
リンちゃんのことだとすぐにわかった。これまでに何度か店に来たことがあったから、目に留まっていても不思議じゃない。
「
リンちゃんですか?惜しいなぁ。そいつが
リンちゃんの恋人なんですよ」
答えながらちょっと思った。『恋人』っていうのはあいつにはあんまり似合わねェよな。
「そうか・・・・。お前はいつもあの子のことを見てやがるから、てっきり・・・・と思ったんだけどな。一緒に暮らしてるらしいし」
それは俺がどうしても心配性だからで。
思えば、この街ではどんな素敵でかわいいレディーを見ても、前みたいにちゃんと挨拶しておこうという気にならない。ナミさんがいて
リンちゃんがいてロビンちゃんがいたあの頃が嘘みてェだ。これじゃあ確かに、
リンちゃんに惚れてるみたいに見えるよな。
惚れてるとはちがうけど、大切で。
あのクソバカ剣豪のところに戻すまで俺がしっかり守っていかなきゃ・・・・といっても時々俺は、逆に守られてるんじゃねェかと感じちまうんだけど。
今日はなんだかおかしい。
これまで振り返らないようにしていたいろいろな物事がいっぺんに頭の中に蘇る。
あの日と同じ、あいつの誕生日。
忘れようったって、もう忘れられない。
なんだかさっきの
リンちゃんの様子もちょっと違ったし・・・・。
メリー号の思い出がどんどんと・・・・やべェな、なんだか。
「メシ屋だ〜〜〜〜〜!!!サンジのメシの匂いだ!」
ルフィの声がリアルに聞こえる。幻聴まで来るとかなりやば目だ。
「いらっしゃい。ちょっと手が離せないんで、お好みの席にどうぞ」
・・・って、なんでルネさんがルフィの声に反応してるんだ!これって・・・・
「おいおい、まだサンジがいるって決まったわけじゃないんだぞ」
・・・ウソップの声だ。
「でも嵐の日に流れ着いた、背が高い細身の金髪、料理が凄腕の『サンジ』っていったら、うちのコックさん以外にいると思う?」
ロビンちゃんだ!
「そうよ〜。一緒に浜辺に倒れてた銀髪の女の子っていうのは絶対に
リンよ!」
ナミさん〜!
「会えるのか、いるのか、サンジ?ここにいるのか?」
もれなく非常食までついてやがる!
俺はなんだか突然足に力が入らなくなって、配膳台に手をついた。そんな俺の様子に気がついたルネさんが調理台の横に置いてあるスツールに腰を下ろした。
「どうやら、すぐに注文ってわけにはいかないお客さんらしいな。・・・よかったな、サンジ」
俺はうなずくことしかできなかった。
そのまま両足を引きずる気分で大急ぎで厨房の出入り口に向かった。心臓がやたらと激しく暴れやがり、今から夢じゃねェことを祈る始末だ。
・・・・だけど、ちょっと何かがひっかかっていた。
それでも、ただただ嬉しくて、思いっきりドアを押し開けた。
「お・・・・お前ら・・・・」
「「「サンジ〜〜〜〜!」」」
「サンジ君!」
「元気そうね、コックさん」
全員の声が重なった。
ルフィ、ナミさん、ロビンちゃん、ウソップにチョッパー。みんなも元気そうだった。
飛びついてくるチョッパーを抱きしめ、背中をトントン叩いてやる。俺のシャツをぐしょぐしょにしながら泣いてやがる。
1年会ってねェなんて思えなかった。みんな全然変わってなかった。時間がいっぺんに戻ったみたいだった。
でも、やっぱり。
あいつの姿はなかった。
「そっか。やっぱりゾロはサンジと一緒じゃなかったんだ」
俺が思ったのと同じことを、ルフィが言った。
「でも、
リンは?
リンはサンジ君と一緒なんでしょ?」
ナミさんが1歩前に出る。
「大丈夫、ナミさん。
リンちゃんは元気だ。今日は仕事が休みだから、行けばすぐに会える」
全員の顔に安堵の表情が浮かんだ。
「メシ屋のおっさん!ちょっと出かけてきていいか?
リンを連れてきたらすぐに注文するから」
いつのまにか厨房の戸口に姿を見せていたルネさんにルフィが声をかけた。『メシ屋のおっさん』か。やっぱり変わってねェ。
「いいさ。サンジも仕事どころじゃないだろうからな」
「あんがとな、おっさん!」
スタスタ歩き出すルフィの姿に、俺は慌てた。
「待て、ルフィ!」
「なんだよ〜。早く
リンに会いに行こうぜ」
「俺が、
リンちゃんを連れてくる。突然みんなで行ったら・・・・そりゃあ、
リンちゃんは喜ぶだろうけど・・・・・」
でも、あいつはいないから。
俺だって、こんなに嬉しいくせにこんなに動揺してるんだ。
あいつに惚れてる
リンちゃんは・・・・。
それでも無理して笑うに決まってるから。
「ここで待ってましょう、ルフィ」
俺の様子を見ていたナミさんが言ってくれた。
ああ、やっぱりナミさんも変わってねェ。
最高だ。
ルフィはしばらく俺の顔を見ていたが、うなずいて椅子に座った。
「・・・俺たちの前で泣いてもいいのによ。俺たちも泣いたんだから」
「わかってるけどよ。・・・・行って来る」
夢だった、なんて消えてくれるなよ。
店を出てすぐに、煙草に火をつけた。落ち着くにはこいつが必要だった。
リンちゃんにどう言おう?
ルフィたちが無事で、元気で、俺たちを探しに来てくれた!って。
だけど、その中にあいつはいなかったって。
リンちゃん、泣くかな。泣けるかな。
俺は泣かせてやれるかな。
リンちゃんは・・・あれから1度も泣いてなかった。
今の俺はそのことを自分の責任みたいに感じ始めていた。