(最初に気がついたのはいつだっただろう)
リンはサンジがテーブルに置いてくれた湯気がのぼるカップに口をつけた。
自分の中の焦りが高まれば高まるほどに、平気な顔をするしかなかった。誰か気づいた者はいるだろうか。
たとえば、今、目の前で皿を洗っている・・・・・・。
「なんかさ、こうやって二人でいるのも自然な感じがしておかしいよね。
リンちゃんと一緒にずっと・・・・なんて今思えば不思議だなァ」
サンジは煙草を1本咥えて
リンの向かい側に腰を下ろした。
リンは火をつけるサンジの手の動きを黙って眺めた。この1年間ですっかり覚えたその動作。こうして向き合ったら、あの1年よりも前だっ たら実はちょっと緊張していただろう。今は、不思議と落ち着く。
最初の煙を吐いたサンジが視線を上げた。
「でさ
リンちゃん、もしかして、あいつの名前、ずっと呼んでねェ・・・・・?」
いきなりの核心に
リンの表情が歪んだ。素直に盛り上がってくる涙をかろうじて押しとどめる。
「やっぱ、そうか」
サンジは静かに一人で頷いた。
麦わら海賊団の突然の全員集合から3日が過ぎていた。
ルネのレストランで盛り上がるだけ盛り上がり、その後は全員でサンジと
リンが借りている部屋になだれ込んだ。適当にゴロ寝して朝を迎え、出港準備がはじまった。
サンジと
リンはレストランと郵便局での仕事の引継ぎが今日までかかった。ルフィたちは買出しやいろいろで港と街を駆け回っている。
借りている部屋を引き払って掃除をするために二人はすでに懐かしい感じがする部屋に戻ってきたのだが。ちょうど昼時だったせいもあり、自然と二人でテー ブルを挟んでランチをとってお茶になった。
あのゾロの誕生日から。
サンジは気になっていた。嬉しそうで幸せそうで突然綺麗になったように見える
リンだったが、その口からなぜかゾロの名前が出ない。ゾロも
リンも元々口数が多い方ではないから最初は勘違いかと思ったが、やはり変だった。ふとした時にゾロを見上げて口を開きかけた
リンが、そのまま黙って口を閉じる場面を何回か見ている。
リンがゾロを呼ぶ声がサンジは好きだった。甘えが含まれていないのに柔らかな声。二人っきりのときはきっともっと違うんだろうな、こん ちくしょう!・・・と思ったこともある声だ。
なのに、
リンの口からゾロの名前が出ない。
みんなバタバタと忙しいから全然目立たないけれど、それでも。
(あのマリモ野郎、気がついてやがるのか?)
「普通に呼ぼうと・・・・思うんだけど・・・」
リンはカップの上に視線を落とした。
「いっぱい呼びすぎたからな〜、あん時。本人を前にしちゃぁ、ちょっとまだ迫っちゃうのかもね、気持ちが」
サンジが言うと
リンはパッと顔を上げた。そこに浮かんだ表情になんだか照れを感じて、サンジは大きく煙を吐いた。
「でもさ、
リンちゃん。なんであいつなんだ?鈍感で物騒で偉そうな野郎だぜ」
リンはサンジの質問が照れ隠しであることに気がついているらしく、微笑んだ。その瞳が「理由なんてないことはわかってるでしょう?」と はっきりと答えた気がして、サンジは笑うしかなかった。
「わたしは自分の想いが何なのかもあまり考えてなかったし。・・・・サンジ君は・・・伝えないの?いや、あの・・・・いつもとは別の伝え方で・・・・」
口ごもる
リンの姿に、サンジは再び大笑いし、それから真面目な顔に・・・ならずにはいられなかった。
リンにはなぜか、隠してはいけない気がした。
「俺はさ、いつもちゃんとナミさんとロビンちゃんに愛を伝えてるだろ?それでいいんだ、今は。いや、多分これからも。・・・・・・俺は、あのときの顔を見 ちまったからさ」
未来の海賊王が叫んだ・・・おまえは俺の仲間だ、と。そして、それを聞いた少女は大粒の涙を落としながらうなずいた。あの日、あの場面で。
サンジは確信した。自分がここで見たのはいつか先の運命なのだと。まだまだ遠いかもしれない、けれどそれでもいつか。
リンは黙ってサンジを見ていた。イーストブルーでのその時の戦闘のことは、ルフィたちからそれぞれの話に聞いていた。その前のミホーク との戦いの話も、ゾロの口から聞いた。それぞれの運命が絡み合ってしっかりした形になった時期だったのだと思った。
そして今のサンジの口ぶりから、そしてふとした時に感じることがある自分の印象から、サンジと自分が同じ予感を持っているのだと理解した。
「いっそ、
リンちゃんがあのマリモ剣士に見切りをつけてくれたらな〜。俺たち、自然な感じでいけると思うぜ〜」
顔を赤らめることなく自分を見つめる
リンの瞳が深い理解を浮かべていたので、サンジは頭を数回掻いた。
「誰の話だ、コラ」
突然、ドアが開いた。
(なんでこんな時だけぴしゃっと現れるんだよ、この野郎は)
戸口に立つゾロの視線が
リンに落ちた。
その視線を受け止めた
リンがかすかに口を開き・・・・閉じた。
(やっぱりまだ無理なんだなァ)
それでも視線をそらさずに、
リンはゾロを見上げ続けている。
ゾロはそのまま歩いてきて、テーブルのすぐ横に立った。
「焦るな。ちゃんと聞こえてる」
穏やかで包み込むような低い声。それがサンジにはひどく耳新しかった。
「なんだ、もう昼は食っちまったのか」
台所の様子を見てゾロが呟いた。
「お前、メシ食いにきたのか?」
「ああ・・・・ちょうど昼時だったからよ」
つまり、昼食を一緒に食べるのにちょうどいい時間にこの部屋に向かったが、たどり着いたのはやっと今だったということだ。サンジも
リンも納得した。
「ったく、仕方ねェな・・・・」
サンジは台所に立った。食いたい奴に食わせる、それがサンジの生き方だ。
ゾロはサンジが立った後の椅子に座った。
テーブルの上に肘をついて身を乗り出すと、金色のピアスが揺れた。
「・・そのうち、名前を呼ばずにはいられなくしてやる」
ゾロの口元に浮かぶ笑み。
リンは顔に、体全体に熱い血が一気に駆け巡り、目を伏せた。
(聞いてるぞ、聞こえてるぞ、このクソマリモ!)
サンジの手さばきがほんの一瞬乱れた。
それでも。
それから続いた静かな空気がなんとなくいい感じに思えたので。
サンジは一節口笛を吹いて、リズムに合わせて野菜を刻んだ。