追 思

写真/ 強くおなり

 強く真っ直ぐに生きるんだ

 誰にも負けないほど強く逞しく

 最初はいろいろな人のものに聞こえるその声は、決まって終わりには彼自身の声になっている。いつから聞こえ始めたのかは記憶になかったが、気がついたと きにはもう当たり前になっていた。眠りに落ちる直前や、朝、すべてが覚醒する瞬間に時折聞こえるこの声。
 もしかしたらそれは彼・・・・ロロノア・ゾロがまだ何も知らない無垢な赤ん坊の頃から彼を抱いた何人もの人たちがかわるがわる語りかけた言葉かもしれな い。
 今は思い出すこともあまりない幼い頃に。忘れられない思い出を含むあの頃に。



 幼い赤ん坊の髪は緑色をしていた。彼を腕に抱く人の瞳をじっと見つめてから思い切りの笑顔になる。身体は丈夫で病気知らず。何軒かの家を順番に回る形で 育てられたが、どこの家でもよく飲みよく眠り大きくなった。
 歩くことを覚えてすぐにゾロは道場に通い始めた。
 それは彼が生まれる前から決まっていたことだったが、幼いゾロは疑問を感じることもなく、毎日その日の養い親に付き添われて道場に行った。そしてそのう ち、自分1人で熱心に通うようになった。
 このときゾロの心にはすでにあの声が響いていたのかもしれない。

 街は木々や緑が豊かな土地で、人々は穏やかな日々を送っていた。
 大きな道場がひとつあり、一見物静かで深みのある若い道場主が礼儀や強さを求める町人たちを指導していた。ゾロは幼いながらその中で頭角を現し、天性と も思える強さへの渇望と結びついて大人にも負けない剣技を身につけていった。
 ゾロのことをよく知らない者は、彼が将来碌なものにならないと時に心ない偏見を口にしたが、彼を知る者は不思議と誰もその将来を憂いたりはしなかった。 親がいなくて腕っ節が強いこの少年は口癖のように『世界一の大剣豪になる』という夢を語っていたが、誰もその夢を遮ろうとはしなかった。
 それほどに少年は一生懸命だった。


「なあ、ゾロ。町長がお前を探してたぞ」

 ある日、珍しく数日ぶりに道場にやってきたゾロは、門生仲間の少年たちに囲まれた。

「町長・・・・・?」

 ゾロは一瞬考えてみたが、思い当たることは何もなかった。

「町長の息子が誰かにコテンパンにやられたんだ」

「ジンが?」

 ゾロは詳しい事情を聞こうとせずに駆け出した。行けば事情はわかる。とにかく先に友達の顔を見たかった。
 腰に差した3本の刀をガチャガチャ言わせながら走る少年の姿を認めた町人たちが、口々に何か彼に話しかけようとする。

(何だよ。そんなに大事なのか。)

 ゾロは慣れた道を一気に走り抜け町長宅の広い敷地に入ると、まっすぐに離れに向かった。広い庭のその奥にひっそりと佇んでいる建物は白い壁がすっきりと 空間を切り取り、緑の中で浮き上がって見える。

「ジン!」

 ドアを開けると見慣れた光景が目に入った。
 書棚、机、寝台。
 目に付くのは書棚に詰め込まれた本と、そこから溢れて机の上や壁際の床にきちんと積み上げられた本の山。
 寝台の上で重ねられた数個の枕に寄りかかりながら手にした本のページを繰る白い手。ゾロを見上げて笑みを浮かべる口元。
 大人びた風情の少年、ジン。彼はゾロが最初に町長の家で育てられていた頃からの幼馴染だった。

「試合、全勝おめでとう、ゾロ」

 物静かな声はいつもとまったく変わりない。けれど、服の合わせ目からのぞく胸元や捲くった袖口から見え隠れする白い包帯には違和感があった。

「どうしたんだ、それ。・・・お前、どこでどんな奴にやられたんだよ!出かけることなんて滅多にないくせに」

 ゾロはジンの手首をつかんで袖をさらに捲り上げた。包帯は肩まで続いていた。

「痛いよ、ゾロ」

 ジンは笑った。

「包帯は大袈裟なだけだよ。君の手の方が痛い。・・・・ちょっとさ、探し物があったから隣町までこっそり行ったんだ。でも帰りはこんな姿で担ぎ込まれ ちゃったから、バレバレだったけどね」

「隣町ってお前・・・・」

 ゾロはジンのもう1本の手首もとらえた。

「お前、俺の試合を見たな?だから全勝だって知ってるんだ。俺はこれから結果を知らせるところだったんだぞ」

 再び笑顔になったジンの前で、ゾロはこみ上げる怒りを迸らせた。

「・・・お前に喧嘩をふっかけたのは、俺に負けた連中のどいつかなんだろ。お前、俺のこと知ってるって認めたのか。無視しなかったのか」

「だって、君は友達だから。なんだかすごく有名みたいだね。おかげで僕のことまで知ってる人がいたよ。・・・・それより、ちゃんと誉めてくれよ。失くさな いでしっかり持って帰ったんだから」

 ジンは枕の下から平たい包みを取り出した。

「誕生日、おめでとう」

「え・・・・」

 ゾロは、差し出された包みとジンの顔を交互に見た。

「すごいな。驚いてるってことは、今年君に最初にお祝いを言ったのは僕なんだね」

「そういやなんだか、俺にものを言いたそうな奴がいっぱいいたけどよ。俺は、てっきりお前のことだと思って・・・・」

 ゾロは少々放心気味に寝台の端に腰を下ろした。

「お前の親父さんが俺を探してるって聞いたし。てっきりお前をボロボロにした奴にお礼参りしてくれっていう話だと思ったんだが」

 ジンは声を出して笑った。

「父さんはそんな物騒な考え方をしないよ。逆さ。君が大きくなった噂を聞き込んで先走っちゃわないように、ちゃんと僕から話をしたほうがいいってことに なったんだ」

「だけど、お前、なんで俺の誕生日くらいでわざわざ隣町に・・・・」

「いいから。ほら、開けてみてよ。何件も本屋を歩き回ったんだから、それを探して」

「あ、ああ・・・・・・・」

 ゾロはそっと包み紙をはがした。現れたのはこげ茶色の表紙の厚めの本で、しっかりとしたつくりが手に伝わってきた。金色の文字でタイトルが型押しされて いる。
 『剣豪伝』
 短くて一目瞭然なそのタイトルを、ゾロは数回繰り返して目で読んだ。

「そこには沢山の剣豪たちの話がつまってるんだ。有名な人物もいるし、そうじゃない人もいる。刀にとり付かれた鬼人とか・・・とにかく内容が充実してるん だ」

 嬉しそうなジンの声を聞きながら、ゾロは静かに表紙を開けた。それから1枚ページをめくり・・・それからもう1枚・・・・。
 本の中で語られている話に心を奪われていくゾロの様子を、ジンはしばらく黙って眺めていた。
 それから、口を開いた。

「最後にさ、君の試合を見ておきたかったんだ。誕生日に何かを贈れるのだって、今年が最後だから・・・・どうしても」

 ゾロは本を閉じた。
 彼の前にいるこの聡明な少年は、生まれながらに短い寿命を定められていた。それは彼が大きくなるに従って具体的な内容になり、ついには春までは無理だろ うと宣告されていた。
 ずっと、ゾロは信じなかった。どこかに運命に逆らい乗り越えることが出来る術があるはずだと思っていた。そんな時、ゾロとともに世界一の大剣豪を目指す はずだった少女が突然の事故で命を落とした。少女の刀をもらい受け、自分の夢と少女の夢、2倍の夢を背負うことを決めたとき、ゾロの心の中には変化がおき ていた。
 人は生まれたときから自分の死に向かって生きていく。その死がいつ訪れるのかはほとんどの人にはわからないが、時々、それが見えたりわかっている人がい る。それが、ジンだ。先が見えてしまうと人はそこに線を引きたくなる。自分に限界を定めてしまう。けれど、ジンもジンの周りの人間も前を向いてただ懸命に 生きていた。赤ん坊のゾロを引き取ってくれた時も、ジンが最初の手術を受けたときも、尽くせるだけの手段を尽くしてしまったそのあとも。
 強く生きることにはいろいろな形があるのだ。
 それぞれが自分の形を持っている。ゾロにはゾロの、ジンにはジンの。

「お前はこの本、読んだのか?」

「何年か前に何10ページか読ませてもらったことがあるんだ。そのとき、うちに寄ってくれた旅人がいたんだよ。あれからずっと、いつか君にもって思ってた んだ」

(で、ちゃんと見つけてくれたってわけか)

 ゾロはジンのすぐ隣りに座りなおした。

「今日は、久しぶりに泊めてくれよ。で、こいつを読んじまおうぜ。おまえもまだ全部読んでねぇんだろ?」

 ジンの表情が輝いた。

「父さんも母さんもご馳走の準備をしたがってたんだけど、君はそういうの苦手だから・・・・って半分諦めてもらってたんだ。でも、泊まるんならいいよね! ほら、これが最後だし」

「・・・お前、それはほとんど脅迫じゃねぇか」

 ゾロの顔にも明るい笑顔があった。

(こいつが逝っちまう時に、俺はどんなになっちまうのかはわからねぇ。こいつだって最後は多分笑ってなんていられないかもしれねぇ。だけど)

 今、自分たちが強く生きるというのはこういうことなのだろうから。

「ほら、最初の話を読んでくれよ」

「・・・・ゾロ、一緒に読むってそういうことかい?」

「いいじゃねぇか。次のは俺が読んでやる」

 二人の少年は仲良く一緒に1冊の本を広げた。



「ゾロ・・・・?」

 傍らで先に眠りに落ちたはずの少女の声が聞こえ、ゾロはぼんやりと頭を振った。
 久しぶりにあの声を聞いた。
 少女の手には読んでいる途中らしい1冊の本があった。表紙の色は濃い茶色。タイトルの文字は金色だった。

「お誕生日・・・・あの・・・・誕生日・・・・」

 しどろもどろで懸命な声を聞くうちに、ゾロは笑い出した。

「なあ、俺がその本の中の話を全部言えたら、すごいか?」

 少女の目が丸くなった。
 ゾロが口にした台詞が、かなりいつものゾロらしくなくて。
 幼い頃にはやっぱり思い切り元気な男の子だった・・・・と思わせる横顔が嬉しくて。

「ほら、最初の話を聞かせてやるよ」

 ゾロは少女の身体に腕を回して強く引き寄せ、そのまま二人の身体はベッドに倒れこんだ。そのとき、少女はやっとこの日に贈りたかった言葉をゾロに言うこ とができた。

 いつもと少しだけ違う特別な日。

2004.11.11
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