夜の空気は想像以上に冷え込み、どこからとは特定できない忍び込む隙間風が灯りを揺らした。
サンジは口元に浮かんでいる笑みを懸命に抑えこんでいた。声を出して笑わないように。そっくりな色の4つの瞳に浮かぶ真剣な表情を邪魔してしまわないよ うに。
軽やかに左手でフライパンを揺すりながら右手でスパイスや刻んだばかりのハーブを加えていくサンジの手元を、小さな感嘆のため息とともに見つめているの は
リンと緑色の頭の子ども、ロンだった。
「面白ェか?」
同時に大きく頷く大小の頭。
またサンジは唇を噛んだ。
「俺の料理が恋しかったでしょ〜、
リンちゃん」
やわらかく問うサンジの声とその顔を見上げた
リンの表情は雰囲気が重なっているように見えた。
整頓されたというよりは物がとても少ない台所。焼く、煮る、炒めるという調理方法を素直にひとつだけ使った料理をサンジは頭に思い浮かべた。自惚れでは ない。
リンは麦わら海賊団の一員になってサンジの料理に出会うまで、食べることに楽しみや幸せを感じることなく、求めることもなく生きてきた はずだ。
その
リンが母親として2人の男の子を育ててきた。元気にイキイキとした双子を見ると、サンジはなんとも言えない気分になる。
まだ成熟しきっていたとは言えない
リンの身体には双子を生むことは予想通りの重荷で、それでも弱音を吐かない
リンをチョッパーとナミが懸命に励まし、ゾロがずっと手を握っていたのだと聞いた。
すっかり体調を崩した
リンはしばらく寝込み、サンジとウソップは毎日島の人間たちに牛や羊の乳をもらいに行き、チョッパーは薬草を探しに行った。
ルフィとナミ、ロビンは料理以外の家事を片付け、ゾロは
リンのそばにいた。
いつもだったらきっと寝込んでいる自分を不甲斐なく思って苦しむはずの
リンの顔には微笑があった。
元気に泣いて元気に飲んで、眠った途端にこの上ない安らぎを感じさせる赤ん坊たち。あの時、海賊団の中心には生まれたばかりの双子がいた。全員がそれぞ れ幼い命を育てて守っているという気持ちを心に抱いていた。
だから、最初に島を離れた時は船の上は呆けた空気でいっぱいになってしまった。
変わらない顔をして見せていたのはゾロだけだった。
最初の離乳食は絶対に自分が作るのだという誓いは守れた。そのまま最初の誕生日までまたみんなでこの小屋と停泊させた船で暮らした。それからは年に1度 か2度しか戻ることはできなかった。
双子は驚くほどどんどん大きくなり、
リンは見るたびに美しさを増した微笑を見せた。
順調というのはこういうことなのだろう。
でも、サンジは。
サンジは静かに視線を後ろに向けた。
予想通り、ゾロの視線とぶつかった。それまで
リンを見ていたはずのゾロの顔には深い名残があった。
(こいつ、でかくなったよな)
腕っ節も剣の腕前も、日々精進しているゾロは確かに強くなり続けている。強面で意外と単純で腰が据わっているからいざという時には頼れる奴だ・・・・と は思う。頼る気はさらさらないが。
でも、ここ数年。どこといって具体的には言えないのだが、ゾロは変わってきたと思う。酒場や街角でやたらとモテる。無愛想さも素っ気無さも増している気 がするのに。
そしてあからさまにギラギラしているものが削ぎ落とされたようになくなって、その分不思議なことに凄みが増している。
(・・・・似合わねェくせによ)
リンに向けていた視線には渇望があった。
双子たちを見る表情には深さがあった。
その二つは恐らく、一歩間違えば弱さに繋がりかねないものなのかもしれない。
だから、
リンはここにいる。ゾロは1人で仲間たちと海に出る。そういうことなのだろう。
「・・・サンジ君?」
静かな声に顔を戻すと
リンがにっこり微笑んでいた。
「いつまでも台所が自分のものじゃない気がしているのは、ダメだよね。でもやっぱりサンジ君が料理してるのってすごく安心で嬉しい」
リンの言葉に合わせてロンがうんうんと頷いている。
そんな2人に伸びそうになった腕の衝動をこらえて、サンジはフライパンを火から下ろした。
「さあ、ソテーは出来上がりだ!」
うひょ〜!という歓声とともに船長の身体が飛んできた。そのまま片腕で
リンの身体を抱きしめてもう一方の手でロンを抱え上げる。
思わずサンジがもう一度ゾロを見ると、ゾロは穏やかに笑っていた。
(船長特権、つぅか、ルフィ特権ってやつだよな)
サンジは湯気が立つ料理を移した皿を片手で持ち上げた。
ダンはゾロのすぐ隣りに座っていた。2人の間は5pほどあいていた。時折自分を見下ろすゾロの視線を感じながら、ダンは黙って台所に立つサンジたちに目 を向けていた。
そこへ台所からルフィに抱かれてきたロンの体が飛んできてゾロの膝に落ちた。満面の笑みでゾロの膝の上にのったままサンジの料理を待つロンの横顔を、ダ ンはそっと見つめた。
2人は双子。だから生まれたときから互いが相棒なのだが、一応順番的にロンが兄でダンが弟という別の名前も持っている。双子といってもそれぞれが1人ず つ。持って生まれた性質も身につけた好みやこだわりも見た目と同じように全く違う部分もある。
条件はほとんど一緒で生まれたのに相手が持っていて自分にはないもの。
「うわぁ〜、おいしそうねぇ。ね、ダン!」
反対側の隣に座っているオレンジ色の髪の優しい航海士に笑顔を向けながら、ダンはもう一度視線を戻すことをためらっていた。
「ダン、そこに入ってもいい?」
見上げるとそこにあったのは包み込むような微笑だった。サラサラと落ちる長い銀色の髪はダンのものとそっくり同じ、ダンの母、
リン。剣術の師でもあり、本好き仲間でもあり、その姿は島で見かける他の『母親』とは随分違うように思う。その微笑みも涙も自分とロン 以外には渡したくない・・・ずっとそう思ってきた。ゾロという例外を除いては。
だって、ゾロは。
「座って座って!ちょっと詰めるわね。もう、話したいことがいっぱいあるのよ〜」
ナミが腰を浮かしたとき、ダンは自分の身体が持ち上げられるのを感じて振り向いた。
「この小屋は狭いからな。お前、ちょっとのっかっとけ、こっち側に」
ゾロはダンを胡坐をかいた左足に置いた。見れば、ロンは右足に移動してニコニコ笑っている。
そのロンのすぐ横に
リンの身体がすべり込んだ。
ゾロと、ロンと、
リンと。
順番に表情を確かめた後、ダンの紅潮した顔も笑顔になった。
「ルフィ、今晩、船に泊めてね。ロンと一緒にハンモックで寝たいんだ」
「おお、いいぞ〜。ゾロのハンモック空いてるしよ、落ちたときのマットもあるからな」
「やった!ルフィ、おれ、見張り台に登ってみたい!」
「あ、おれ!おれが今夜は見張り番だから、一緒にサンジにココア作ってもらってお月様、見よう!」
「楽しそうだな〜。そうだ、この間改造した双眼鏡があるからよ、貸してやるよ。あれで見る月はすげぇぞ〜」
「ふふ。楽しそうね、小さな剣士さんたち」
自分の言葉がきっかけで盛り上がる陽気な場を楽しみながら、ダンはそっと
リンを見上げた。心持ち顔を赤くした
リンはダンの前髪に優しく触れた。そして2人が揃って目を向けた先にはゾロとロンの笑顔があった。
ゾロの感情がこもった視線を受けた
リンは惹かれるように視線を合わせた。
(ほんと、
リンちゃんにそっくりだ)
(5歳ってこんなに見えてる子もいるのねぇ)
サンジがグラスを上げるとナミがそれに応えて「乾杯」と声なしに呟いた。