「ナミは」
「
リンちゃんとまだ部屋に。・・・ルフィは?」
「見張り台」
「そっか」
煙草を咥えたまま身軽に縄梯子を登りはじめたサンジの姿をゾロは黙って見上げた。
甲板に座るゾロの両側には幼く小さな姿があった。緑の髪と銀の髪。いつもそれぞれに元気な子ども達がじっとゾロの身体に自分たちの身体を押し付けるよう にしてそこにいる。ゾロは触れる肌から伝わる温かな体温を感じながら、ただ座っていた。
海上暮らしが長いのに指に残る感触が滑らかな髪を、
リンはそっと撫ぜていた。
女3人が交代で使っているベッドに腰掛けた
リンの膝には床に座りこんでいるナミの頭が載せられ、顔が埋められていた。声を出さずにじっと身体を硬くしているナミの腕に刻まれたタ トゥーの上を
リンの手が包み込むと、ナミはようやく身体を大きく震わせた。
「ごめんね・・・何でもないのよ」
心から搾り出したような呟きに
リンは頷いた。
「あんたが・・・殺られると思ったわけじゃないの。大声出せばすぐに2人が来るって事もわかってた・・・・」
買出しの途中で
リンとナミは双子を連れて雑貨屋に寄ることにした。ゾロとサンジは少し離れた酒屋に行くことにした。距離も時間もほんの少ししか離れな かったが、狙ったように事が起きた。
「わかってたけど・・・あんたがあんなにあっさり剣を地面に置いたから・・・」
腕をねじ上げられたナミの手は太ももに巻きつけたクリマタクトに届くわけはなく、木刀を持っていない子ども達はほとんどつまむようにして首根っこを掴ま れ。咄嗟に剣の柄に手をかけた
リンに対して男たちが要求したそのことを、
リンはあっさりと承諾した。剣から手を離したその瞬間もナミと双子から目を離さない
リンの瞳には強い光があった。ナミはそこに怒りではなく愛情を見た。それは普段はとても遠くなったようにも思えるあの日、勇ましく銃を 抱えた美しい人の目の中に見たものととても似ていた。
リンの身体の切れと動きの軽さがあればまだ事態は絶望とはほど遠いはずだった。けれど。ナミは絶叫した。
リンはまたナミのオレンジ色の髪を撫ぜ、屈んでそっと頬をあてた。
ほんの少しだけ年上で生命力に満ちた陽気で優しい航海士。
リンにとっては友人であり姉であるこの女性の芯の強さをよく知っていた。いつもならあの男たちを笑いとばして怒りを爆発させていたはず のナミ。このナミの心を大きく揺さぶったのは何だろう。ナミはあの時何を見たのだろう。大きく瞳を見開いてまっすぐに
リンの顔を見ていた。
もっと深く抱きしめることができたら。
本当はこういう姿を絶対に見せたくないはずのナミの心に宿った一瞬の失意から救い上げる事ができたら。
でも、
リンにできるのは。
リンは静かにナミの身体に腕を回した。
「見張り、交代するからよ、お前、ナミさんのとこに行け」
サンジが見張り台に降りるとルフィはその場にポンっと座った。
「なあ、サンジ。お前が行かなくていいのか?俺はそん時ウソップと別の場所にいたから・・・だからさ」
珍しく歯切れの悪い船長の口調に感じるところがあったサンジはそのまま隣りに座った。何もかもが底抜けで途方もなく大きな男だとサンジが密かに認めてい るこの船長が今は自分よりちゃんと年下に見えた。バカバカしいほど可愛げがあり、どうしようもなく放っておけない。
これがルフィじゃなかったらもしかしたら自分は、と思ってすぐに否定したサンジの唇がゆがんだ。これがルフィでありそしてナミのことだから。サンジに取 れる行動はもうサンジの中で決定済みだ。サンジがサンジである故に。
「お前よ、あん時に間に合えなかったんだろ?だったら今度はもう遅れんな。男として、船長としてレディを安心させてやれ」
ルフィは大きくて丸い目でじっとサンジの顔を見た。どこまで伝わり何を察しているのか、或いは何も考えていないのか。その表情が一転して笑顔になった。
「おし、わかった!」
立ち上がってそのまま手すりを飛び越えて行ったルフィの残像に向かってサンジはうすく煙を吐いた。
「あいつと交代したのか?」
降りて・・というよりも落ちてきたルフィはニッカリ笑って頷いた。
「ナミのとこに行けってサンジが言ったんだ。だから、行く」
これはいつものルフィだ。
ゾロは口角を上げた。
「ちゃんとノックしろよ。そのまんま飛び込んで行くなよ」
「そっか、ゾロ、お前、よく気がつくな〜」
やっぱり戸を壊す勢いで突っ込んで行くつもりだったか。ゾロは思わず笑いたくなった。そんなゾロを見上げる双子の視線とルフィの視線が少々くすぐった い。
「お前らももう大丈夫だぞ。ナミは俺が連れてくるからよ」
荒くれ男の3人くらいにおとなしく捕まっているはずのない5歳児たちだった。その2人の身体を竦ませ心の底からの恐怖を感じさせたのは2人が想像したこ とすらなかったナミの叫びだった。
リンの短い名前を呼んだだけのその声は2人の胸に刻み込まれた。驚くほど早くゾロとサンジがやってくるまでの間、2人はそのまま捕らわ れながらナミの後姿と3人を見つめる
リンの顔を見ていた。それしかできなかった。
ゾロもサンジも
リンも2人を一言も責めなかった。2人は
リンの腕の中でようやく大きく呼吸をし、ゾロの肩の上で夕日の赤さに気がついた。
ナミは何も言わなかった。
黙ってうつむいたまま歩いて船に戻ってそのまま部屋に入って行った。その後を
リンが追った。2人はそのまま夕食に出てこなかった。
「ごめん、ルフィ!おれたち・・・何にもできなかった」
「ただ黙って捕まってた」
ロンとダンはようやくゾロの傍らに立ち上がった。
ルフィは2人の前にしゃがみこみ、目線を合わせた。
「ナミの事が心配だったんだろ?ゾロとサンジから聞いた。俺も心配だから、一緒だな」
立ち上がったゾロは大きく身体を伸ばしてから3本の刀を抱えた。
「早く行け。お前じゃなきゃできねぇことがあるだろ。で、お前らは部屋から木刀持って来い。俺は先に素振りを始めてる」
ルフィと双子、3人が同時に同じような表情になったのがおかしくて、ゾロは素早く背を向けた。 背後に響きはじめたバタバタいう足音はあっという間に遠 くなった。