縄梯子を登ってくる小さな気配を感じた
リンの口元が綻んだ。
予想通りに見えてきた自分と同じ銀色の髪と緑の瞳に微笑むとお返しに差し伸べられた両腕が
リンの首をそっと巻いた。
リンはほんの少し驚いた。受け止めて抱き返したこの子どもは日頃感情表現が苦手で、特に愛情表現となると羞恥心に押されて感情を引っ込 めてしまうことが多かった。そこもとても似ている子どもだった。
ダンの身体には幼い汗の匂いがあった。
「2本、振ったの?」
リンが尋ねるとダンは驚いたように一瞬身体を硬くした後に
リンの髪に顔を埋めたまま首を横に振った。
「まだゾロの前では振らない。内緒にしておいて。・・・ナミは出てきた?」
「ううん、まだ。でも、ルフィが行ってるもの、大丈夫。きっとナミの記憶にまたそっと蓋をしてくれる」
「記憶・・・?」
少し身体を離したダンは
リンの顔を見た。
「消せないの?もう気にしなくていいように」
「自然と消える記憶ならいつかそのうち・・消えたこともわからないかもしれない。でもナミの中で溢れた記憶はきっとずっと命終わるまで残るものなんじゃな いかと思う。ルフィにも誰にも消せないし、できるのはしばらくの間気にしないでいられるように蓋をする手伝いくらい・・・」
ダンは首を傾げながら
リンの表情を追っていた。
リンは胸の中に湧き上がる温かなものを抑えながら真面目な顔の小さな額に唇を触れた。
「ちょっとだけ見張っててね。ロンを見てくる」
「あ、ロンは多分ね・・・・」
言いかけたダンはその言葉が間に合わないうちに
リンが姿を消すと慌てて立ち上がった。身軽に甲板に降り立った
リンの姿を見る少年の顔には誇らしさと憧れがいっぱいだった。
リンの姿を認めるとゾロは素振りを止めた。離れたところで身体を丸めて眠り込んでいるロンの姿に微笑んだ
リンは差し出されたゾロの手に右手を預けた。その手を握りこんだゾロは静かな力強さでそれを引き、首を傾けて唇を重ねた。気持ちを満た す分だけ触れた後に離れるとゾロの手が
リンの髪を梳いた。
「ダンは見張り台か?」
「うん。ロンは眠っちゃったのね」
「こいつはどこでも眠れる奴だからな・・・・・俺に似て」
言われるよりは自分で言おうと決めるまでの間がおかしくて
リンは笑った。
「アホコックの奴、異常に張り切って朝飯の仕込をやってるみてぇだが・・・」
珍しく途中で言葉を切ったゾロの顔を見ながら
リンは首を傾げた。同時に今の
リンと同じような姿勢で自分を見ていたダンのことを思い出した。どこか照れくさい不思議な気持ちに襲われた。
「焼きもち焼いてんじゃねェよ、クソマリモ。知ってるぜ、お前よ、時々てめェの子にも焼いてるだろ。独占欲丸出しの器が小せェ剣士野郎で苦労しちゃう ね〜、
リンちゃん」
右手に火がついたタバコを持ったサンジが悠々とした足取りで現れた。
本当は焼きもちめいた部分はほんの少しだけであとはゾロがサンジのことを気にかけているのだということは百も承知だった。でもそれはゾロには似合わない しサンジが認めるわけにはいかないものだ。
「誰が・・・」
耳が赤くなったゾロの顔の方向にざまぁみろと煙を吐いて、サンジは笑った。
「空が明るくなってきたよな〜。どうせ寝ないんならコーヒーでも飲まねェ?」
「ウソップとチョッパーは?」
「ホットミルクにたっぷりブランデー垂らしてやったから大丈夫。きっと朝まで起きてこないよ。ロビンちゃんもきっと気を利かせて戻ってこねぇよな。・・・ ああ、街のどこか、待ち合わせ場所を決めとけばよかった〜」
「俺は寝れるぞ」
ゾロが言うとサンジはまた笑った。
「無理すんな。とにかくチビマリモをハンモックに放り込んで来い。俺はケトルをかけてくる。あ、
リンちゃんは豆挽いてね。もう1人のチビ剣士には毛布かけといたから安心して」
ほんの時々サンジには敵わないと感じる部分を突かれてゾロが苦笑すると目を合わせた
リンは小さく頷いた。2人の様子を満足げに眺めたサンジは両腕を上に伸ばして胸を張るとタバコを捨てた。
「あの・・・・さぁ、コーヒー、まだある?」
戸口からそっと覗いたオレンジ色の髪に音のない歓声が上がった。人数は極めて少数、1人は普段どおりの眉間に皺、1人は飛び上がるように立つとその場で クルクルと回りはじめ、最後の1人はただまっすぐに視線を送る・・・それを歓声と感じる自分はかなりらしくない感傷度だとナミは頭を掻いた。
「ナミすわ〜〜〜〜〜ん、待っててね!今、熱くて美味い奴、落とすから」
回転したまま器用にケトルを火にかけたサンジが座っていたスツールの隣に腰掛けて、ナミはこの船の特産物と認識している「海賊夫婦」と向き合った。しば らく視線を送った後に笑いはじめた声はいつものとおりに陽気で楽しく、よく響いた。
「『夫婦』って感じじゃないわね〜、やっぱり。あんたたち、どうしてもゾロと
リンだわ」
「ったりめぇだ・・・何わけわからねぇことを言ってやがる」
「いやぁ、さ、そういう風なのがいいのよ。あのね・・・船に
リンとチビたちが乗ることになったとき、わたし、ウソップと相談してたのよ。船の中にあんたたちファミリーの部屋を作らなきゃなんない わねって。名づけて『マリモ部屋』」
「・・・誰がマリモだ」
「はいはい、じゃあ『ロロ部屋』でも何でもいいわよ。でもね、決まったのが突然だったから先に準備しておくなんてできなかったし、船を出した後は嵐だなん だでまともな島へは何日も着かなかったし。そうこうしてるうちにいつの間にかあんたたちを含めた船のペースができちゃってたわけよね。家族部屋はなし、ゾ ロは男部屋、
リンは女部屋、チビたちは気分次第で両方。・・・なんかさ、そういうのがすごく嬉しかったのよ」
珍しく頬を染めて口ごもるナミの姿に向けられている6つの瞳はランプの光を受けてやわらかく輝いていた。
「・・・
リンがチビたちはこの船の子どもだって言ってくれた・・・ああ、そのとおりだなって・・・」
口を閉じたナミが微かにうつむくと、サンジが湯気の立つカップを置いた。
「はい、ナミさん。ブランデーは垂らすより別々が好きだよね」
カップの隣に琥珀色の液体が入ったワンショットグラスを置いたサンジにナミはにっこりと笑った。
サンジは
リンの前と自分の席にもグラスを置き、ゾロの前には大ぶりのものを置いた。
「チビたちに、乾杯!」
三人三様に照れて唱和できずにグラスを上げる姿を眺めるサンジの満足そうな視線はふと、戸口に向いた。
「そう言えば、ナミさん、ルフィは?」
「ああ、子守唄を歌ってたら眠っちゃったのよ」
「ぬぁ〜に〜〜〜〜〜!な、ナミさんの子守唄〜〜〜〜〜?!」
いきり立つサンジにナミは笑いながら首を横に振った。
「違う、違う。自分で歌ってて自分で眠ったのよ、あいつ。・・・・結構・・・上手かった・・かな」
なぜかうつむくナミの頬の色が目立ちはじめ、それを意識したナミはさらに頭を垂れる。
「海賊は歌うもんだってのがこだわりだからな、あいつの。それで下手だったら目も当てらんねぇ」
ゾロは立ち上がると刀を抱えた。
「さて、そろそろ朝ごはん作るね!ナミさんも
リンちゃんも食べてからゆっくり寝なよ。誰にも睡眠の邪魔は絶対にさせないから。てめぇもさっさとシャワー行ってこい、マリモマン」
サンジは夕食用かと見間違うほどの下ごしらえ済みの食材の山を積み上げた。
珍しく反論せずにラウンジを出て行くゾロの姿を見送ってから
リンとナミは微笑を交わした。サンジのリズミカルな包丁の音が流れはじめる。
「この音、安心するのよね〜」
「船のお母さんはサンジ君だよね」
「あんたも迫力あるけどね、いざとなったら怖いくらい」
囁き合う2人声を時々耳に入れながら料理の仕上げに入ったサンジがふと振り向くと、そこにはどこか似た微笑を唇に浮かべた寝顔が2つ、あった。火を弱め たサンジはしばし見とれるようにその場に佇み、それから静かに一歩ずつ足を運んだ。そっと手の平をのせたナミの頭は滑らかな髪の感触の下に安らかな体温が あった。落とした視線の先が滲んだことに気がついたサンジは苦笑しながら調理に戻った。
「・・・起こすのは『お父さん』だよな。それくらいやらせても足りねェくらいだ」
呟いたサンジの言葉も知らず、バスルームの床には寝言とともに盛大な寝息をたてているゾロの姿があった。