荒れ狂う嵐が過ぎ去った午後は、まだどことなく空気の動きが落ち着いていない。
それでも、ゾロの唇には不敵な笑みが浮かんだまま、その視線は一緒に一騒ぎを終えたフランキーの横顔に向けられていた。
「ったく、何だったんだ?今のは。海賊にも随分と酔狂な連中がいるもんだな」
海に叩き込み、或いは港に放り出した荒くれどもの残骸を眺めながらフランキーは腕を組んだ。
ゾロとフランキーが船番をしているサニー号を突然の嵐が襲った。波ごと岸に激突して大破するのを防ぎながら荒波に持っていかれるのも避ける距離を計りな がら船を移動させたところに一山の男達が襲撃してきた。火事場泥棒的な目的でやってきたらしいその連中を気が向くままにのして放り出した。騒ぎが治まった 頃には嵐も過ぎていて、今、空から消えた黒雲の代わりに白雲とその隙間から溢れる陽光が甲板の上の2人を見下ろしている。
「仮にも海賊だってんなら、せめて岸なんかひとつも目に入らないくらいの海の上で仕掛けて来いってんだ。大体、あいつらの船はどこだ?『船長!』とか叫ん でたけどよ、船なしじゃぁ、形がつかねぇよな」
「大方、傷んだ船が沈んじまって、手っ取り早く次の船を手に入れようと考えた連中だろう。そんな海賊も少なくないさ」
船はただの乗り物で消耗品。確かにそれは事実かもしれない。実際、修理するくらいなら略奪して次の船に乗り換えることを考える海賊も多くいる。賞金稼ぎ をやっていた頃から、ゾロはそんな連中を見てきた。それが海賊のやり方だと信じている人間はそれでいい。何を言うつもりもない。確かに船はモノだ。だが、 モノには作り手がいる。メリー号を作ったというあの執事、そしてサニー号を作ったフランキーとガレーラの船大工達。作り手たちが自分の手による船を語る時 の表情は、今もゾロの中で鮮やかだ。これまでに会った数人の刀鍛冶たちも同じ。ああいう作り手たちが作ったモノには命が宿る。命が宿ればそこに魂のような ものもオマケについてくるのかもしれない。ゾロは、そう思っている。
「ま、そういう海賊もいるんだろうけどよ。でもなぁ、な〜んか、納得いかねェなぁ」
これが過去に解体屋のボスをやっていた人間の台詞か。
ゾロは改めてニヤリとした。フランキーたちの手で解体された船はある意味幸福だったのかもしれない。恐らく尽きた寿命を賑やかに看取ってもらえたのだろ うから。
「背中の傷は?」
ゾロが訊くとフランキーは大げさに顔を顰めて見せた後、ニヤリと笑い返した。
「こんな運が悪いだけのヤツは屁でもねェよ。何だよ、心配なんててめェの柄じゃねェだろう?」
船を襲ってきた連中は先ず離れた場所から矢を撃ちこんできた。そのこともまたフランキーの怒りを誘っていた。弓矢なんて山賊みてェな真似をするんじゃ ねェ!と叫ぶフランキーの声を聞きながら、だったら銃ならいいのだろうかと苦笑したゾロだった。剣技で矢を叩き落していくうち、その1本の破片がフラン キーの背中をかすった。思いがけず、ヒヤリとした。その自分に驚いた。
サイボーグ人間であるフランキー。自分の手で自分の身体を改造したとんでもない男。その強さは理屈では理解できないほどだ。だが、この男、後ろは弱 い・・・・というよりもごく普通の生身の男だ。その弱い背中を傷つけた。滲んだ血の赤さが目に沁みた。
ルフィ、サンジ、ウソップ・・・・自分も含め、仲間の血は戦いのたびに見てきた。ナミやロビン、チョッパーのものも。でも、こんな感じ方はしなかった。
「ほらよ、もう血の一滴も流れちゃいねェだろ?」
いつもながらの派手な柄のシャツを捲くりながら、フランキーがクルリとその場で1回転した。確かに血は止まっていた。その傷だけが生々しく、背中には他 には大層古い傷らしいものしかなかった。
「思ってたより傷がねぇな、背中」
ゾロの言葉にフランキーは笑った。
「ったりめェだ。俺の背中はずっと子分どもに預けてたんだからな。傷のひとつもつくわけねェだろ」
・・・・あの頼りない、気のいいワルな連中にか。
ゾロは思わず溜息をついた。
元ウォーターセブンの裏の顔。その背中が広く見えた。
「ゾロ〜!フランキー!」
港に戻った全員が呼ぶ声が聞こえた。
「おうよ!」
船を向けたフランキーはサングラスを上げた。
「ただいま〜!ねぇ、すっごい嵐だっただろ?オマケに港でのびてたヤツら、全部ゾロと一緒に片付けたの?」
双子の1人、ロンがポンっと弾みをつけてフランキーの背中に飛び乗った。ゾロは思わず身体に力を入れ、そんな自分を心の中で笑った。
「グェッ!また重くなったんじゃねェか?おいこら、そっち、もう1人も乗っかれ!重さ、確かめさせろ」
グッと腰を曲げたフランキーを見た物静かなダンの顔に微笑が浮かんだ。トコトコと歩いて行って素直にフランキーに摘み上げられながら、微笑はすぐに満開 の笑顔になった。
「「「うお〜!俺も!俺も!」」」
すぐに仲間に入るために駆けてきたルフィ、ウソップ、チョッパー。その後ろからすまし顔でエスコートを気取りながら荷物の山を抱えているサンジとナミ、 ロビンが現れる。
「うん・・・・?」
1人、足りないか。
ゆっくりと首を回すゾロの背後にトン、と軽い足音が着地した。
「お前、どっから降ってきた?」
手を突いて振り仰ぐと、落ちてきた銀髪が頬に触れた。
「ただいま、ゾロ」
そんな時の
リンの顔は艶めくというよりは出会った頃の少女のようで。
口角を上げたゾロは思わず片手を伸ばし、芝生の上にひっくり返った。幸い、ちらりと2人を一瞥したサンジの他はフランキーたちの騒ぎの中でこっちに気が ついた様子はなく、ちょっと頬を染めた
リンは無事にゾロの隣りにそっと座った。
「楽しそう、みんな。それに・・・・あったかそう」
「あったかい?」
初夏の気温の中では不思議な表現に、ゾロは笑った。
「フランキーの背中が、すごくあったかそう。あったかいから、ダンも素直になれてる」
「ああ」
納得したゾロはそっと
リンの肩を抱いた。普段誰かの前ではあり得ない行動だったから、
リンは目を丸くし、サンジは心の中で舌打ちをした。
「お前にも特別に見えるか?あいつの背中」
リンはコクリと頷いた。
「あのね、フランキー、胸に抱いてもロンとダンの熱があまり伝わらないらしいの。2人はフランキーのあったかさがわかるんだけど。でも・・・・背中なら きっと、みんなの体温が伝わるでしょう?」
「・・・そうだな」
ゾロは腕が触れている
リンのやわらかな体温を意識した。
そうか、と思った。
今のフランキーは好きな女を胸に抱いてもその体温のやわらかさを感じることはないのか。
「鉄の胸の中に、ずっと1人の人への想いをしまってきたんだと思うの。フランキーとアイスバーグさんが目標にしている伝説の船大工への」
「海列車を考え出した?」
「うん。だからね、胸は強く厚い鉄でいいのかもしれない。ずっと大切にしまっておけるから。で、背中は生身のフランキーそのもの」
「普通に傷つく」
「うん。そして、素直に喜怒哀楽する」
「なるほどな」
自分はもしかしたら、その生身のフランキーを傷つけたことにヒヤリとしたのかもしれない。
ゾロはひとつ、頷いた。
「
リン」
「ん?」
「すごいな、お前」
「・・・・・んん?」
首を傾げた
リンの肩を、ゾロはギュッと抱いた。そして、真っ赤になった
リンをさらに愛おしいと思った。
夕食後、ゾロは展望台でベンチに呆けたように腰かけているフランキーを見た。その顔は窓に向き、視線は日が沈んだ海の遠くを眺めているようだ。
「邪魔か?」
引き返しかけたゾロを、フランキーは驚いた顔で見た。
「おどかすな。なんだ、お前。食後のトレーニングってヤツか?女房子どもをほったらかしてよ!」
言いながら『女房』という響きがあまりに
リンに似合わない気がして口元を緩めたフランキーは、どうやら同感らしいゾロの面白がるような顔を見た。
「何だよ、てめェの女の話だぞ。余裕、あるじゃねェか」
言いながら、また
リンに似合わない気がしてフランキーは首を傾げた。
ゾロは空いているベンチに寝転がり、ゆっくりとプレスをはじめた。
「あいつはあいつだ。誰のものでもない。俺のそばにいるのはあいつがそう望んだからで、俺が幸運なだけだ」
「いや、まあ、
リンは確かに妙に強いけどよ・・・・・って後半、惚気一本かよ、おい!」
ゾロの腕はペースを保ったまま錘のついたバーを上下させている。フランキーはその姿を見ながら、らしくない溜息をついた。
「あの時の俺にせめて
リンほどの強さがあったらなァ。子どもらを守るあいつを見てると、時々そう思っちまうよ」
「・・・・お前の師匠が逮捕された時か?」
ピクン。
フランキーの両肩が震えた。
「知ってんのか?」
「
リンが言ってた・・・・お前の胸の中にはずっとその人がいるんだろうって。矢にも銃弾にも負けないそん中にな」
「ふぅん・・・・」
フランキーは窓に目を向けた。
「俺はほんとにちっぽけなガキだったが、トムさんはそんな俺を王様みてェにドンと胸を張れる気分にさせてくれてた。俺1人がいくら強くたって、アイスバー グがもっと大人だったとしても、世界政府の野郎がこうと決めたことを引っくり返すなんてできなかったかもしれねェ。俺はトムさんが連れて行かれる切っ掛け を作っちまった自分を、あのバトルフランキーたちを作ったこの手を一生許さずに生きていこうと思ったが、そんなのは本当の強さじゃなかった。麦わらやて めェたちを見てて、それがわかった。だから、今は本当に強くなりてェんだ」
「自分で納得できるまで強くなるなんてのは、たぶん随分と長い道程だろうな」
「それがてめェには大剣豪、麦わらには海賊王なんだろ?俺は呼称はただの船大工で十分だ。サニーをずっと海賊王にふさわしい船でいさせてやる」
「それは構わねぇがな、まあ、そのうち、惚れた女をその腕の中に抱えてみせろよ。あんたにはそれも強さだと・・・俺は思う」
「ハァ?!」
わざとらしく声を引っくり返したフランキーには目を向けずにゾロはベンチプレスを続ける。
「・・・・ニコ・ロビン」
その名前を呟いてやると、フランキーの身体と表情がピタリと静止したのがわかった。
「やっかいな女に惚れたもんだ」
フランキーは数度口を開きかけ、やめた。
ゾロはフランキーが気を取り直すまで黙っていた。口の端で微笑しながら。
「てめェなぁ、何を勘違いして突然そんなことを言い出したのかは知らねェが・・・・」
「・・・・ああ、自分で気がついてなかったのか。そりゃあ、悪かったな」
「悪かった、で済ますな!勘違いだって言ってんだろうが!」
「勘違いでも構わん。俺には何の問題もないからな」
「こら・・・いいだけ揺さぶっといて、あっさり放り出すな」
ゾロはゆっくりとフランキーの顔を見た。そして、そこにある泣き笑い状態の崩れ方に、破顔した。
「なんて顔してる」
「だってなァ・・・・」
フランキーは宙を仰ぎ、両手を上げた。
ゾロはバーを戻すと起き上がり、汗をぬぐった。
「女ってのはよくわからん。この船の女は揃ってマシな方だが、妹達ほどの可愛げはねェな」
「兄貴って呼んで自分から近づいては来ねぇだろうな」
「・・・・じゃあよ、どうやって捕まえる?」
「手を伸ばす」
「・・・・それだけか?」
「ああ、それだけだ」
簡単に答えるゾロをフランキーはジロリと睨んだ。
「ま、てめェは先に惚れられたんだろ?どうせそこんとこが全然違うってわけだ」
「先も後も関係ねぇだろ。どっちが先かなんて、本当のところはわからん」
「え・・・・お前が先に惚れてたかもしれねェってのか?マジか?初耳だぞ、そいつは」
「・・・・目を輝かせるな、こんなことで。アホコックっていうより、むしろチョッパーに近いな」
ゾロは睨み返し、堪えきれずに小さく噴出した。
「大の男が2人、顔つき合わせて何を喋ってるんだろうな」
フランキーも笑い、サングラスをかけ直した。
「まったくだ。どうだ、こっから先は一杯引っ掛けながらにしねェか?照れ臭くって背中が痒くて仕方がねェぞ」
生身の背中が。
ゾロはゆっくりと立ち上がった。
「まだ喋るのか」
「てめェが始めたんだろ。きっちり責任、取れよな」
「ま、いい。もしラウンジにロビンがいたら、とっとと置いて帰ってやる」
フランキーの顔が青ざめた。
「ちょっと待て、おい。いいか、何がどうでも、今夜はとことん付き合えよ。俺はお前と飲んで喋りたいんだからな」
どこかすがるような表情で見上げるフランキーの顔が、剣の練習をねだる双子のものと重なった。
ゾロは頷き、先に縄梯子を下りはじめた。
強面で背中に純情を背負った船大工。
仲間としては、悪くない。
「こら、俺を置いてくな。なんつぅか・・・・今夜はとにかく、俺を一人にするなよ!いいな!」
背中から追いかけてくるフランキーの声は必死だ。
「・・・・ガキだな。『兄貴』のくせに」
呟いたゾロは振り返らず、微笑を浮かべたまま歩き続けた。