誘 波

写真/ 宴もたけなわ、というのはこういう状態のことを言うのだろう。 リンは自分の周りの賑やかさと時々渦を巻く空気を感じながら微笑した。この騒ぎ、もしかしたら半端な造りの船の中だったら壊してしまう かもしれないほどだと思う。でもこの海賊チームが乗ってきた船、メリー号もサニー号も多分一緒に宴を楽しんでくれていると想像できる。
  リンの視線はふと、2つの小さな姿に向いた。
 宴の中央で見よう見まねのピアノ演奏を楽しんでいる緑色の髪の子ども。
 その姿を見守りながら自分と同じように周りの空気を楽しんでいる銀色の髪の子ども。
 また少し大きくなったかもしれない。
 ふっとやわらかく息を吐いたとき、ちょっとばかりぶっきら棒な声が頭の上からふってきた。

「なんだ、お前、全然飲んでねェだろ、今夜も」

 フランキー。トレードマークの海パン姿は時々とても面倒見がよくなる。
 それに続いてどこかひょうきんな軽い声が・・・骨だけに。

「いや、わたしもね、ちょ〜っと気になってはいたんですよ。 リンさんってお酒、実はお嫌いなのかな〜って」

 ブッ・・・というような小さな音がどこからか聞こえた、というのは空耳だろうか。
 答えを探して迷う リンの傍らにどこからかサンジが現れた。

「こら、お前ら、レディに酒を無理強いするような無粋な真似、するんじゃねェよ!・・・いやその、 リンちゃんにだって考えがあるんだろうし」

「考えだぁ?酒にか?」

 首をかしげる2人の前にナミがすっくと立ちはだかった。

「そうよぉ。あんたたち、 リンを困らせたら承知しないわよ!そんな勿体無い・・・じゃなくて、とにかく、いいじゃない、お酒の楽しみ方なんて人それぞれで」

「・・・なんでてめェらが出てくるんだ?亭主は向こうで知らん顔で大酒喰らってんのによ」

「はい、ちょっと不思議ですねぇ。ええと、パンツみせていただいても・・・」

「「よろしくない!」」

  リンは困った表情のまま4人を眺めていたが、ふと、フランキーが両手に酒を持っていることに気がついた。左手のボトルは自分のためだろ う・・・とすると右手のグラスは。

「・・・ありがとう、フランキー。ちょうど冷たいのが飲みたいかなって思ってたの」

 差し出された白い手を見たフランキーの頬にはわずかに朱が差したように見えた。

「おお、まあな、ほら、開けたばかりの新しい樽のだからよ、うめェぞ。飲んでみな」

「うん」

「あの・・・ リン?」
「え・・・、 リンちゃん!」

 なぜか動揺しているらしいナミとサンジが凝視する前で、 リンはグラスを傾けて静かに干した。

「あらら、イケる口だったんですね〜、 リンさん!」

「まったくだ。いい飲みっぷりじゃねェか」

 船大工と音楽が満足そうに顔を見合わせたその時。

「・・・ちょっとこいつ、借りるぞ」

 いつの間にか5人の傍らに現れたゾロは、干したグラスを持ったままの リンの手首を掴んだ。目を丸くした リンは、次に頬を深く染めた。
 船大工と音楽家は・・・なぜか息を呑んでしまった。

「って、どこいくのよ、ゾロ」

「・・・上陸する」

「ああ、岬にでかい廃屋があったけど・・・」

「そこだ・・・朝には戻る」

「はいはい」
「まあ、その、あのな、 リンちゃんに風邪でもひかせたら承知しねェぞ、クソマリモ。甲板に干してある毛布、持ってけよ!」

 ゾロは座っていた リンを立たせ、急ぎ足で歩き始めた。

「おいこら、何考えてんだよ、お前は!」

 声をかけたフランキーに向かって振り向いたゾロは口角を上げた。

「知る必要はねェ。忘れろ」

「って、てめェ!これからじっくり飲みなおそうって時に・・・」

 背を向けたゾロは足を速め、振り向いた リンの顔にはすまなそうな表情と・・・それから、なぜかまたフランキーが息を呑んでしまった何かがあった。

「・・・なあ」

「・・・ええ、何だか圧倒されるほどお綺麗でしたが、 リンさん。これがあれでしょうか・・・アモーレ?わたくし、何やら猛烈に1曲弾きたくなってしまいました。ヨホホホホ!」

 また顔を見合わせた2人に、サンジとナミは苦笑を交わした。

「お前ら、自業自得だって」

「そうそう、すっかりあてられちゃって」

 そこに、フランキーの背後から腕をくぐって現れた小さな姿が合流した。

「・・・行った? リンとゾロ」

 銀色の頭と緑色の頭。
 双子はゾロと リンが姿を消した戸口に揃った視線を向けた。

「行っちまったよ。悪かったな。俺は、お前に言われて気がついて酒をすすめただけのつもりだったんだけどなぁ」

 銀色頭のダンは大きな船大工を見上げて微笑した。それは驚くほど母親のものと似ていた。

「こうなるかなって思ってたから。大成功、なのかな」

「うん。どうしてかわからないけど、 リン、楽しそうなのにお酒、飲まなくなっちゃったから。飲めるのに」

「なぁるほど、企んだわけね、あんたたち」

 ナミは笑った。

「でもいいのか?あのマリモ、お前らの大事な リンちゃんを掻っ攫っていっちまったぞ。まあ・・・理由はわからねェでもないけどよ」

「理由?」

 目を丸くしたロンの隣でダンは小さく溜息をついた。
 サンジは2つの頭をくしゃくしゃと掻き回した。

「俺らには見せるのが勿体ねェんだよ、あのマリモ。酒は魔法の水だからな。自分は母親だから、とか、いつもは不器用でなかなか見せられない気持ちとか、そ ういうのを吹っ飛ばしてくれるんだろ、多分」

「で・・・どうなる?」

 首を傾げたフランキーにサンジはニヤリと笑った。

「訊くな。上手く言えるわけもねェし、教えるつもりもねェ。それこそ、勿体ねェ。だよね〜、ナミさん!」

「そうそう。いいから、ほらほら行くわよ。1曲聞かせてくれるんでしょ?ブルック。んで、 リンのためにみんなで乾杯しましょ」

「じゃあさ、僕たちも一口だけ・・・」

「だ〜め!あんたたちの父さん母さんがちゃんとOKしてからよ!」

 一層賑やかになって離れていく後姿を、ダンは静かに眺めた。その顔にはやはり母親にとてもよく似た微笑が浮かんでいた。




「飲むか?それとも・・・眠るか?」

 そのどちらを自分は リンに望んでいるのだろう。
 わからないまま、ゾロは床に敷いた毛布の上にリンを座らせ、持ってきたボトルをかざして見せた。
 ランプから溢れる揺れる光の中、 リンは嬉しそうに笑った。
 それだけで。
 ゾロは内心、自分に向けて苦笑し、 リンと向かい合って胡坐をかいた。

「ま、いいか。お前、持ってきちまったもんな」

 フランキーから受け取ったグラス。 リンの手はまだそれを持ったままだった。
  リンはグラスを見下ろし、小さく息を吐いた。

「でも、多分、もう酔ってる。もっと飲んだら・・・困らせるね、ゾロを」

「嬉しがらせる、の間違いだろ」

 それとも、自惚れさせる、かもしれない。
 ゾロはくすぐったい気持ちをこらえ、 リンのグラスを取って酒を注いだ。
  リンは目の前に差し出されたグラスを眺め、それからゾロを見上げた。

「・・・いいの?飲んでも」

 緑色の瞳に揺れる艶やかな光。
 ゾロは零れた銀髪を片手ですくった。

「飲め。2人だけだ」

  リンはそっとグラスに口をつけた。
 ゾロはその姿から目を離すことができなかった。




  リンの手がゾロの頬に伸び、指先がピアスに触れた。
 なぜ自分が口を開く余裕をなくしているのかわからないまま、ゾロは黙って手の熱さを受け止めた。
 チリ・・・と幽かにピアスが音を立て、 リンが嬉しそうに声を出して笑う。その無邪気さがゾロの胸に強くくる。普段何も欲しがらない リンがごくたまにゾロに甘える中だけで、恐らく幼い頃に己の中に封印してしまった無邪気さを見せる。すると、もっと見たくなる。
 でも、こんな風に自分からゾロに触れてくる リンは初めてで、ゾロはグラスに酒を注ぎ足すことぐらいしかできることを思いつけない。
 チリ、チリ、と音が鳴り、白い指先がピアスと戯れる光景が頭に浮かぶ。

「・・・1度だけ、貰ってもいい・・・?」

 囁いた リンが求めているのが自分の唇だと知り、思わず身体を緊張させる。
 ちょっと待て、と言いたくなるが言えない。
 いや、本当は言いたいわけではない。ただ、身体を硬くしている己の馬鹿さ加減をどうしたらいいのかわからない。
 この、ロロノア・ゾロが。
 今更、のはずなのに。
 ゾロは真っ直ぐに自分を覗く リンの視線を受け止めた。
 場の空気を読むことに長けている リンが、今はゾロの内心の動揺には微塵も気づかずに信じきった眼差しを向けてくる。
 無邪気に、無防備に、輝きを増して。
 失うことを恐れてしまうほど。

「・・・間抜けだな、俺は」

 ゾロは深く息を吐いた。
  リンが彼の言葉の意味を視線で問いかけた時、細い手首をやわらかく引いた。

「奪え、欲しいだけ」

 ゾロは リンが滑り落ちないように慎重に身体を床に倒し、片腕を細い腰に回した。
 静かに彼の体の上を動く リンを待っているというこの状況が、ゾロを小さく圧倒する。互いに不慣れなのに焦りはなく、やがて リンの柔らかな唇がゾロのそれにそっと触れた。
  リンは深く奪うことなくただ唇を静かに触れ合わせていた。

「こうやってると、あたたかい・・・」

 そっと触れているだけで流れる時間をぴったりと重ねあう錯覚を与える口づけ。
 ゾロは脇に伸ばしていた腕をゆっくりと持ち上げ、 リンの髪を撫ぜた。

「ゾロ・・・」

 唇を離した リンはゾロの胸に顔を埋めた。
 ただそこにいることを求められている感覚に、たまらずゾロは リンの身体を両腕で強く抱いた。 リンは幸福そうに小さく溜息をついた。

「・・・前に酔った時みたいに、やっぱり今夜のことも忘れてしまうのかな」

 いやだな、と甘く呟く リンをゾロはまた強く抱きなおした。

「忘れるな。忘れても俺の中には残る。だから、すぐに思い出させてやる」

 きっとね、と囁いた リンはゾロの胸に唇を触れた後、すぅっと眠りに落ちていった。
 やがて聞こえ出したやわらかな寝息に耳を傾けながら、ゾロは リンの髪を、背中を指先で撫ぜた。

「・・・完敗だな」

 呟いた口に浮かんでいた苦笑は、次第に深い微笑に変わっていった。
 ようやく波の音が、ゾロを眠りに誘い出した。

2009.5.16

奈々瀬さんからいただいたリクエストは
「酔ったヒロインにたじたじのゾロ。今までにない酔い」
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