手を繋いで 12

 身体を丸めてぐっすりと眠っているこの感覚は、もしかしたら初めてのものかもしれない。
 それほど深く眠っている自分を感じていた。丸くなって卵の殻の中に入りこれから外に生まれ出る・・・生まれ直すことができそうな気がした。
 あたたかなぬくもりを感じていることが幸せだと思った。
 肌に感じる柔らかさも、鼻から吸い込む空気の温度も、耳が拾っている話し声の気配も、何もかもがあたたかい。
 突然後ろから追いついてきた過去はまだ抱え込むには重いけれど、でも、硬く強張りかけていた気持ちはどこかへ消えていた。
 アヤミという名前では幸せなままでいることができなかった。決して不幸だったわけではない・・・あの事故を除いては。楽しい時間も嬉しいこともたくさん あったはずだということを思い出すことができたのはゾロの腕の中だった。そして、自分の中にある罪悪感を見つけた。別の名前の人間になって生きることをい つも心のどこかで悪いことだと思っていた。産んでくれ、名前をくれ、育ててくれた両親と生まれる前からずっとそばにいてくれたアユミの記憶を疎んじている のだと、そこから逃げようとしているのだと。だから、いつも怖かった。幾つもの部屋を移り歩き、いつでも逃げ出すことが出来る環境の中で生きてきた。
 今の部屋に来るまでは。
 隣りの二人に会うまでは。
 『 アキ』という名前の人間として出会い、気持ちのままに自然に一緒にいる時間を重ねた。その時間の重なりはいつの間にか住んでいる部屋を 『帰る場所』にしてくれた。今の名前であることへの違和感をなくしてくれた。

 アヤミだった自分と曖昧な中間の時間、そして アキである今の自分。3つの時間がきちんと繋がった時、身体がすうっと軽くなった。失くした時間と人は戻らない。悲しさは質が変化はし ても消えることはない。アユミの眩しさを眺めながら自分は自分であることを時に言い聞かせていた時間も丸ごとそっくり自分のもので、光と闇の2色の極端な 色を塗ってしまっていた過去も少しずつ穏やかに本当の色に戻ってきた。
 みんなを大好きだった。
 時々心の中でないものねだりをした。
 それでも毎朝目を覚ます時には、いつも1日のはじまりを嬉しく思った。
 きっと身体は1人の時間でも心まで完全に1人じゃなかったんだね。それは自立という意味では少しだけマイナスなことだったのかもしれないけれど、でも、 とにかく毎日が楽しかった。自分を包んでくれていた人たちが一度にいなくなってしまった喪失感と生き残った自分をみんなに対して不公平だと思う気持ちはと ても強く、自分の中にアユミを求められることがひどく怖かった。
 『メタ』の技術に触れて自分がそれに夢中になりだした頃から、きっと、『自分』をしっかりと意識するようになったのかもしれない。華やかな人物にメタす る時にふっと心に浮かんだ面影はアユミのもので、そんな時は不思議な感じがした。自分がアユミに助けられているような。アユミのそばでずっと見てきたもの を自分の身体で再現しているような。他人になっている時の充実感とそこから自分に戻った時の開放感。この2つを知ったことで自分が自分であることを確信で きた。

 わたしの名前は アキだ。アヤミだったのはもう何年も前のこと。どちらも大切な名前だけど、今、わたしは『 アキ』の方を好きになってより大切にしたい。
 ゾロが呼んでくれるこの名前を。
 サンジ君が微笑みかけてくれる時間を。
 エースがくれた今の自分のはじまりを。
 みんなが・・・とても好きだから。




「・・・ヴァイオリン・・・」

  アキの口から漏れた呟きを聞いたシュンは顔を上げた。

「ほら見ろ!・・・ったく、起こしちまったじゃねェか」

 サンジは肩から飛び降りようと企んでいる猫を片手で押さえながら笑った。
 ゾロは弓を動かす手は止めないまま、まだ目を閉じている アキの顔を見下ろした。色白の頬に触れていた睫毛がふわりと宙に浮き上がり色素の薄い瞳が現れた。まっすぐ天井を映した瞳はゆっくりと した音色に惹かれるようにゆるやかに動いた。 アキの目がゾロのそれと視線を合わせたその時、空気が動いた。

「あ、コラ!」

 しなやかに身体を伸ばしたフレークが アキの身体を包んでいる毛布の上に着地した。

「・・・シュン?」

 猫の姿を求めた アキの目は、なぜか湧き上がってしまった涙を零すまいと懸命になっている少年の顔をとらえ、 アキは不思議そうに微笑した。

「夢じゃないよね・・・シュン、大きくなってるもの」

 言葉で返事ができずに首を縦に振るシュンの頭にサンジの手がのった。

「でかくなったよね、ほんと。あのさ、こいつ、今日も泊まれるんだってさ。だからさ・・・・のんびり話、しよ」

 サンジは店を休んでしまったのだろう。ゾロも道場か仕事はなかったのだろうか。迷惑をかけたと思う気持ちの裏に一緒に存在するほんの少しだけ甘やかな気 分に、 アキは小さく息を吐いた。

「なんだか、久しぶりに帰ってきたような気がする・・・」

 言いながら自然と伸びた アキの手は白かった。その白さを見ながらサンジとシュンの視線を受け止めたゾロは静かにヴァイオリンを置いた。
 自分の手を見て今更のように焦っているらしい アキの表情にゾロは口角を上げた。どうやら本当にいつもの アキが戻ってきたらしい。感情表現が不器用で、そのくせ鮮やかな表情で・・・時折たまらない気持ちにさせる アキが。
 ゾロは黙って自分の手で アキの手を包んだ。

「おかえり、 アキちゃん。・・・ほれ、お前も」

 シュンの手を掴んだままサンジはゾロの手の上に自分のものを重ねた。

「これってさ・・・円陣組んでるわけじゃないんだけど」

 自我の成長を感じさせるシュンの言葉に アキは目を細めた。記憶よりも少し低くなったかもしれない。

「でもよ、あったかいだろ?」

 4人それぞれの熱が互いの手をあたためている。自分も仲間に加わろうと鼻先を アキの手の下に潜らせようとする猫の頭と揺れる尾にくすぐられている。それには思わずシュンも笑顔になり、その笑顔はそのまま アキに向いて大きくなった。

アキに話したいこと、結構あるんだ」

「うん。わたしも・・・少し、あるかな」

 今日のこと、明日のこと、これからのことを話そう。それが上手くいったら、自然と話したいだけの過去も見えてくる。
 ゾロとサンジの手はそれぞれ自分の中にある一回り小さな手を少しだけ強く握った。

「ん〜にゃっ」

 焦れたフレークが転がりながら上げた鳴き声に4人の笑い声が重なった。
 一旦笑い出すと止まらなくなってしまったシュンとサンジ。
 あっという間に声を引っ込めて唇の角度だけをさらに深めたゾロ。
  アキはそれぞれの顔に順番に見とれた。手に篭る熱を大切に握りしめた。

2007.1.16

Copyright © ゆうゆうかんかん All Rights Reserved.