手を繋いで 2

 ああ、と思ったのはあの日のサンジとの会話があったからかもしれない。本当は驚愕、とか愕然という言葉があてはまる瞬間だった。
 帰宅途中の道を歩いていた アキの傍らにスッと寄って停車した1台の車。後部座席の窓ガラスが下がり、男の顔が現れた。

「探したよ、何年も」

 見覚えのある面立ちと懐かしさと感情が篭った深い声。 アキの全身は硬直した。
  アキの顔を確かめるようにじっと見つめていた男は車から降りた。

「今はもう、君しかいないなんて・・・。大切にするよ、絶対に」

 自分が男の腕の中に包み込まれていることさえ アキにはわかっていなかったかもしれない。全てが麻痺してしまった感覚の中で、耳だけが男の声を拾っていた。

「もう二度と・・・・失わない」

 あの日の会話が言霊となって今を呼んでしまったのだろうか。その時、 アキの手にサンジの手の感触が蘇った。あたたかかったサンジの手。ゾロの寝顔。安らかだった時間。身体に力が戻り、男の腕を振りほどい て離れた。

「アヤミ・・・!」

 呼びかけられた名前が心に波を掻き立てる。一文字違いの別の名前が蘇る。幸福、失意、絶望、喪失。蘇った感情が渦を巻く。
 逃げなければ、と思った。このまままた子どもに戻って心を切り離すしかなくなるのは嫌だ。今の自分には失いたくないものがある。何よりも大切にしたい時 間が、人がいる。 アキは男に背を向けて走った。自分の部屋に戻ることさえ出来れば。

「一度帰るんだろう?送ろう。アヤミの部屋は知ってる。さっき行ってみたから」

 男の言葉が アキの足を止めた。部屋を知られている・・・そのことに動揺した。もう、帰ることが出来る場所はない。ならば。
 追い詰められた気持ちのまま向かう方向を迷った アキは身体の向きを変えた。

「アヤミ!」

 道路に飛び出した アキの身体を引っ掛けそうになった1台の車が急停止した。必死に車の先を回り込もうとした アキの腕を身軽に車から降りてきた人間の手が掴んだ。

「何やってんの。その男から逃げてるってとこか?」

 腕の自由を取り戻そうともがきかけた アキはその人間の良く知った声と顔に気がついた。

「あれは別に逆恨みしてる依頼人とかじゃないよな?俺、紹介した覚えねぇし。とにかく、乗って。ちょうどいい。あんたに話があって来たんだ」

 ニヤリと笑ったエースはドアを開けて アキを後部座席に乗せた。

「待て、アヤミ!」

 声を上げた男の顔を面白そうに眺めたエースの瞳に強い光が浮かんだ。

「そういう名前の女は知らないな。頼むからしつこく追って来るなよ。面倒くさいし時間がもったいねぇから」

「何を・・・」
イラスト/
 男の言葉は聞かずにエースは車の中に滑り込んでドアを閉めた。

「さて、適当に走るから、しっかりつかまってろよ!」

 頷くと同時に発進した勢いに背中を後ろに押し付けられながら、 アキはバッグの中から携帯電話を取り出した。蓋を開いてポタンを押しかけ・・・そこで止めてすぐにバッグに電話を戻した。
 まだ、話せない。話したくない。
 あの頃の事を話せないならこれは誰にも関係のないことだ。頼るわけにはいかない。本当はエースの車に乗っていることもおかしいのだ。 アキが口を開きかけた時、エースは笑って勢い良くハンドルを切った。

「あのあんたのファン、あきらめるつもりはないみてぇだな。いいか、いっそシートに最初から転がってろ。今からちょっとばかり荒っぽくなるぞ」

 エースの車の後ろにぴったりとついた1台の車。それを振り返る勇気がないまま、 アキは言われたとおりに身体を倒した。床に投げ出されないように堪えるだけで精一杯だった。

(ゾロ・・・サンジ君)

 目を閉じた途端に二人の名前が心に浮かんだ。離れていく部屋との距離がそのまま二人との距離のように思えた。

2006.8.25

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