手を繋いで 4

 おいで、アユミ
 ああ、その子は寝かせておいていいから、そっと抜け出しておいで
 今からこっそり素敵なところへ行こう
 ほら、ついておいで




 同じような台詞を何度も聞いた。それを言うのは同じ人間の時もあればまた別の人間の時もあった。年齢も性別も声も違う。ただ、その内容だけがいつも似 通っていた。
 アユミとアヤミ。一文字の違いが苦手だった。双子の名前は響きが似ていた方がいいと考えられがちなのはなぜなのだろう。一卵性ならまだ理屈もありそうだ がそれが所詮は二卵性の双子の場合は何も意味がない気がしていた。特に、外見も性格も似た寄ったところが少しもない二人だから。
 顔立ちが華やかで考え方も言動も全てが陽気なアユミ。
 アユミの隣りで生まれたときからただ幸福そうに笑いながら一人で物事を見つめているアヤミ。
 どちらも幸せになりたい気持ちは一緒だったのだろう。その求める形が異なっていただけだ。アユミは激しい情熱と輝くものを。アヤミは穏やかさと心和らぐ ものを。極めて幼い頃から二人の傾向ははっきりと分かれていた。
 その傾向が組み合わさって成功をおさめたこともあった。まだ幼い頃の発表会、アユミが主人公を演じた舞台は大成功。プロの子どもたちを抱えた事務所から スカウトの人間がやってくるほどの輝きだった。その舞台の脚本を書いたのはアヤミで、どういう言葉、仕草、動きがアユミを輝かせることができるかを一番良 く知っていた。アヤミはアユミに憧れる気持ちはあっても妬みのような薄黒い感情を持たないで生きてきた。それは輝いている裏でアユミが人一倍努力している ことも一番よく知っているからだった。アユミの方は時々アヤミに頼って悩みを打ちあけたりすることもあった。双子自身の間で実はバランスはとれていたのか もしれない。

 ただ、大人は違った。皆が極端にアユミに心を奪われた。子どもはそれに気がつかずにはいられない。アヤミは時々襲ってくる孤独感を本で紛らわすのが上手 くなった。そんなアヤミに動物だけは不思議なほど好意を見せた。
 それでもアヤミはどうしようもない幸福感を知っていた。幼い頃から隣りの大きな家に住んでいた男の子、レグス。一つ年上のその子とそれより5歳年長の 兄、ログス。アヤミはレグスと好きな本の世界を共有していた。二人でお気に入りの本を貸しあい、庭の木の上に登って臨場感満点の読書タイムを楽しんだりし た。レグスは物静かで感性豊かな少年で、ログスは自信に溢れた運動が大好きな少年だった。アヤミたちから見れば大人びて見える背の高いログスがアユミに心 をそっくり捧げていた。その幼いながらの恋の駆け引きを眺めながら残った二人はのんびりとやわらかな時間の中で幸福を感じていた。

 寂しくはなかった・・・本があったから。
 自分は自分のままでいいと思っていた・・・レグスがいたから。
 その日もアヤミは留守番をしながらパーティドレスの代わりに買ってもらった本を1ページずつじっくりと楽しんでいた。庭の植え込みの陰に置かれた居心地 のよいベンチでは吹く風も心地よく、少女はいつの間にか眠ってしまった。だから、隣りの屋敷のパーティを抜け出してきた二組の小さな足音には気がつかな かったし、抜け出した二人もアヤミが庭にいることには気がついていなかった。

「どうしたの?レグス。アヤミを呼んでこようか?あなたに見せたい本があるってニコニコしてたのよ」

 アユミの声に目をあけたアヤミは喜びに胸を躍らせた。留守番だから会えないと思っていたレグスと新しい本を読めるかもしれない。期待とともに身体を起こ そうとした時、少年の声が聞こえた。

「いや、いいんだ!やめて、アユミ。僕は・・・アユミと二人で一緒にいたくて・・・だから抜け出そうって言ったんだ」

 必死とさえ言えるような少年の真剣な声。アヤミは身体の動きを止めた。

「でも・・・レグス、それって・・・」

 戸惑うアユミの声が聞こえた。

「兄さんのことが好きだって知ってる。でも・・・今だけでいいんだ。本当はもっと早く伝えたかった・・・兄さんよりも先に。アヤミに応援してもらおうと 思ったときもあったけど、あの子は全然気がつかなかったから・・・」

 気がつくはずはない。その『あの子』は一人で勝手に幸福に酔っていたのだから。勘違いという滑稽な舞台装置の上で。
 アヤミは目を閉じた。心のバランスが崩れたことを感じていた。これで自分のことを認めてくれる人間は誰もいなくなったと思った。もう、自分だけだ・・・ そう思いたかったが、今はただ自分のことが恥ずかしかった。羞恥心に身体の中が熱くなって思わず膝を抱えた。これから過ごす夜のことを思うと今までにない 孤独を感じた。そしてそれは、もしかしたらもう終わることはないのかもしれないと思うと怖かった。

 大人たちはそんな子どもたちの様子には気がつかなかった。
 毎年海辺に出かけて過ごす数日のキャンプ。1日早く休暇を取ることが出来たアヤミの親が一足先に子どもたちを連れてバンガローを整えておくことになっ た。あれこれ余分な荷物を積んでいるうちに夕方近くになり、ようやく準備が整って交わされる笑顔の中、アヤミは精一杯の覚悟で自分を守りながら車に乗っ た。真ん中にアユミとアヤミ、その両側にログスとレグス。懸命に言葉を口にしながら、アヤミはアユミとレグスの間に座っていることが苦しくてしかたがな かった。アユミ、レグス、ログスの3人もそれぞれに思うことがあって気持ちがいっぱいだったために不自然さに気がつかれないことだけが救いだった。
 アユミの笑顔を見て綺麗だと思った。
 レグスの声を聞いてその優しさに涙を落としそうになった。
 大好きだから苦しいということがあるのだと初めて知った。
 やがて日が暮れた頃、雨が降りはじめた。最初は小降りだったのが途中から土砂降りになった。どこかで車を止めて雨が落ち着くまで休もうか・・・父親が決 断しようとしかけた瞬間、道はカーブに差し掛かった。ほとんど見えないフロントガラスを落ちる水の流れの中、その道の変化はあまりに突然だったのだろう。 父親は最初で最後の最大のミスを犯した。急ブレーキと急ハンドル。その組み合わせに道路にたまっていた水の流れの効果が加わり、車は制御不能になりクルク ルと回転した。そうするうちにドアが開いてレグスとアヤミは外に放り出された。全身を地面に叩きつけられたアヤミは半分意識が飛び、身体を動かすことはで きなかった。

「アユミ!」

 レグスの叫び声が聞こえた。その声は足音とともに離れて行った。
 そして爆音が響き渡った。噴き出した炎の熱は遠く離れたアヤミの顔でも感じられた。

2006.8.25

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