「無理すんな。そろそろやめておけ」
グラスを持とうとした
アキの手をゾロが静かに押さえた。
「無理はしてないよ・・・調子にのってるかもしれないけど。マリエさんのカクテル、おいしいから」
ゾロの手の温度を感じながら、
アキは自分が心地よく酔っていることを自覚していた。いつもならこんなに長く手を預けられない。ゾロに触れられることは決して不快では ない。だからかえってすぐに離れなければと思うのかもしれない。自分ひとりの温度を忘れないために。
あれからぽつぽつと他の客が入り、広くはない店の中はほとんど満杯の状態になっていた。
サンジはカウンターでのマリエとの会話をできるだけ短くしてすぐにテーブルに戻ってくるようになっていた。客の中には明らかにマリエに会うためにやって きた様子の者が少なくない。そんな客が送る視線をかわすようにサンジの動きは相変わらず軽やかだった。
昼間のオーディションの話、バラティエであった喧嘩騒ぎ、道場に出るという幽霊話。そんな話をしながら3人は一緒に笑った。サンジがゾロに絡んでゾロが やり返す、ゾロが短い一言でサンジをからかい、サンジがムキになって反撃する、そんな様子も
アキにはとても楽しかった。
思いついたサンジが今は少し遠い街に住む3人がよく知っている少年に電話をかけた。少年が買ってもらった携帯電話には3人の番号が登録されているはず だった。
「結構飲んだよな〜。そろそろ帰る?」
サンジの頬にはほんのりと赤みが差していた。ゾロは見た目にはまったく変化はない。
「あ、じゃあ支払いを・・・」
立ち上がった
アキの足元がふらついた。右足を1歩横に出してテーブルに手を着くと、冷や汗が噴出した。
(うわ、みっともない・・・)
落ち着いたことを確かめて
アキが顔を上げると、そこにはゾロの視線があった。
「だからやめとけっつったろ。頭は冴えてても足にきてるじゃねぇか」
立ち上がったゾロは
アキの背に軽く手をあててもう一度座らせた。
水が入った新しいグラスを持ったサンジが小走りに戻ってきた。
「大丈夫?ほら、飲んで」
「ありがとう」
サンジは笑った。
「
アキちゃん、俺より飲んでるもんな、多分。気持ち悪くない?」
「うん、大丈夫。さっきは急に立ち上がったからだと思う」
アキはグラスを置いて、今度は慎重に立ち上がった。
見ると、ゾロの席は空だった。
「あいつ、全然変わらねェな。少しは酔ってんのかね」
カウンターに向かう黒い後姿にサンジが呟いた。
「
アキさん、大丈夫かしら?」
「ああ、大したことねぇ。自分でびっくりしちまってるだけだ」
マリエは少し斜めに傾いだ綺麗な書体でさらさらと金額を小さな紙に書いた。
紙を差し出すマリエと受け取ろうとしたゾロの目が合った。
「あなたはきっと、あの2人みたいな感じに弱い人ね」
「よくわからねぇな」
表情を変えないゾロを見るマリエの口元に笑みがこぼれた。
「自分は攻め、相手のことは守りたい。そんな感じかしら」
ゾロは財布から札を抜き出した。
「随分とわかってる風に言うんだな」
「あなたたちよりちょっと長く生きてる分、結構いろいろ見てきたわ。年のせいということね」
釣りを受け取ってそのままポケットに突っ込むとゾロはカウンターに背を向けた。サンジの顔が見えた。
ゆっくり振り向いたゾロをマリエは黙って見上げた。
「で、あんたはどうなんだ」
何が、とは問わずマリエの視線が動いた。多分、さっきのゾロと同じものを見ただろう。客たちの間に浮かび上がって見える金色の髪と真面目な表情を浮かべ た青い瞳。いつもならそこに陽気な笑みがあるはずの・・・今は何かを予感させるような抑えたようなその色。
「・・・ちょっと困るわね」
ゾロは再びマリエに背を向けて歩きはじめた。
「あ・・・あのね」
マリエはゆっくり立ち上がった。
ゾロは前を向いたまま足を止めた。
「サンジさんに伝えて。7日、伺います。楽しみにしてます・・・と」
「わかった」
歩きながらゾロはサンジと
アキを見た。
強い視線を送りながら、目が合うとあわてて逸らすサンジ。
自分が酔っていることに戸惑った様子の
アキ。
「・・・ったく」
呟いたゾロの表情はやわらかかった。