手品師 6

イラスト/ ドアを開けた アキはすっかり準備が整っていた。
 ゾロは無言のまま視線を送り、小さく1歩後ろに下がった。
  アキはゾロの姿を見た。
 その時胸の中に湧き上がってきた気持ちは「嫉妬」という名がついたものの気がした。
 スカイグレーの地に細かな霰(あられ)模様。腰に巻かれた角帯のときわみどりの色が全体を引き締める。ゾロの髪、 アキを見下ろす瞳、濃い色の肌、しっかりと鍛え上げられた身体、そのすべてが浴衣をまとって魅力的な1枚の絵になっているように思え た。

(似合う、と思うだけでいいはずなのに)

  アキは戸惑いを感じた。
 昨日サンジの浴衣をおかしなくらい一生懸命に選んだから。きっとそれだからとても似合っているゾロの浴衣が自分が選んだものではないことがいやなのだ。 これはそういうことなのだ。そう思うことにした。

「どうかしたか?」

  アキは首を振った。

「似合うね、浴衣。びっくりした」

「なんで驚くんだ」

「きっと、黒じゃないゾロを初めて見たから」

  アキは笑って外に出ると、ドアがロックされたことを確かめた。
 その アキの後姿をゾロは黙って見下ろした。細くて白い首だな、と思いながら。
 白地に幽かに光る模様は現実ではあり得ない青みを帯びた何匹もの金魚と水の流れ。あかるいなでしこ色の帯を締め、手提げと下駄の鼻緒の色が帯とお揃い だった。無造作にまとめた柔らかな髪と白いうなじ。振り向いた顔はほとんど化粧気がなく、唇に刺した色だけが鮮やかに浮かぶ。
 サンジが選んだ浴衣は アキをどこか大人びた子どものように見せていた。

(似合ってるんだろうけどよ)

 ゾロは言葉を捜すのをやめた。

「ゾロ?」

 ゾロの口に自嘲の笑みが浮かんだ。

「そろそろ行ってやらねぇと、あとでアホコックがうるせぇな」

「きっと不安になってるね、サンジ君」

 2人の顔に本当の笑みが浮かんだ。



 傾斜が強い坂道を下っていくと海に抱かれたように見えるレストラン・バラティエが建っている。
 海とは反対側の裏口にサンジの姿が見えた。

「あれがお前が選んだ浴衣か?」

 ゆっくりと車を駐車場に入れながら、ゾロが言った。

「うん。よかった、やっぱり似合ってる、サンジ君」

  アキは嬉しそうに微笑んだ。
 柔らかそうな絞りの生地。裾が海風に揺れている。鮮やかさを抑えたはなだ色がサンジの瞳の青、金色の髪、白い肌を引き立てる。腰に締めた真っ白な帯がア クセントになっている。

「馬子にも衣装ってやつだな」

 ゾロが呟くと アキは笑った。

「じゃあ、似合ってることは似合ってるんだ」

「まあな」

 2人が車を降りると、サンジが大きく手を振った。

「ごめん、こっちから入って。表はまだ準備中だから」

 サンジはいつから立っていたのだろう。考えた アキは胸が少し苦しくなった。ゾロが言った「過保護の肉親」的な気分はあの日から消えたことがない。
 裏口から入って狭い階段を上ると2階は居住スペースになっているようだった。中央に居心地のよさそうな広い居間があり、手前と奥にいくつかドアが見え た。サンジは2人を連れて居間を横切り、奥の右手のドアを開けた。

「ここ、サンジ君の・・・・?」

 通された部屋には確かにサンジのカラーがあった。マンションの部屋と同じ天然素材のラグとカーテン、料理関係の本。そしてマンションにはないものもあっ た。古びた大きな箱、プロペラの羽が1枚壊れた模型飛行機、すっかり日に焼けた帆船の模型。大人になる前のサンジの痕跡。

「ああ、今じゃほとんど荷物置き場だけどね」

  アキは時々サンジが口にする「俺は育ちが悪いからさ」という台詞を思い出した。どういう意味で言っているのかずっとわからなかったけれ ど、ひとつわかった気がした。サンジがあの台詞を言うときに心の中にある想いはとても温かいものなのだろうということ。それを認めることはないかもしれな いが。

「でさ、 アキちゃん。なんとか着るには着れたんだけどさ、なんだかおさまりが悪いんだよ〜。どこがおかしい?」

 サンジは両手を広げてくるりと1回転した。

「う〜ん・・・・・」

 全体的に不慣れな人間が着たことが一目瞭然な出来だった。スーツ姿のときは襟元を崩してもそれがひとつのスタイルのように見えるサンジなのだが。そう言 うのも悪い気がして アキは言葉に詰まった。

「サンジ君、あのね、ちょこちょこ手直しするよりもう1度最初から着直したほうが早いと思うんだ。ゾロに手伝ってもらって・・・」

  アキが言いかけるとサンジは横目でゾロを睨んだ。

「クソ剣士に?・・・・そういや、お前、やけにきまってるな。まさか、 アキちゃんに着せてもらったんじゃねェだろうな」

「アホ。んなわけあるか」

 心持ち頬に赤みが差したゾロは手を伸ばしてサンジの後ろ襟をつかんだ。

「とにかく、1度脱げ!ったく、ぐだぐだじゃねぇか」

「うわ、よせ、馬鹿!少しは遠慮しろ」

 慌てるサンジの前から アキは逃げ出し、居間に出てドアを閉めた。

「男に脱がされても嬉しくねェ!気味が悪い!」

 ドアの向こうからほとんど悲鳴に近いサンジの声と怒声が響いてくる。対するゾロはひたすら実力行使で臨んでいるらしく、唸り声しか聞こえない。
 そのうち、それまでとは打って変ったように静かになった。

「臍の上に巻くな、下だ、下」

「へぇ〜、そういうもんなのか」

 そんな声が聞こえてくる。サンジの熱心な様子が伝わってくる。また・・・思わず胸を押さえた アキがふと目を上げると、居間の入り口にオーナー、ゼフの姿があった。

「あいつはなんとかなりそうなのかな?」

 しみひとつない白に身を包んだゼフは本当よりも背が高く見えた。

「こんにちは。大丈夫だと思います・・・ゾロが教えてるので」

「ロロノア・ゾロか。あんたたち2人にはあいつが随分世話になってるらしいな」

  アキとゼフは互いに見合った。探るような、見きわめるようなゼフの視線は アキを緊張させたが、不思議と不快ではなかった。

「いえ、お世話になってるのはわたしの方です。初めて会ったのは鍵を失くした時でしたし。あの時はご迷惑をおかけしました」

  アキが言うとゼフの視線が心なしか和らいだ。いい顔だ、と アキは思った。

「意地の張りが強いあいつは俺に浴衣をってわけにはいかなかったらしい。そのくせ、妙に気合が入ってやがる。困った奴だ」

「子どもの時にはあなたに着せてもらったんですね。その時のこと、聞きました」

「あんたには、そんなことまで話すのか」

 ゼフの顔に浮かんだ苦笑いの奥には別の感情が見える気がした。 アキは惹かれるように見つめ続けた。ずっと自分の近くにいる者を思う気持ち。それはどんなものなのだろう。

「あいつが出てきたら、いい加減に下りて来いって言ってくれ。そろそろ店に出てろってな」

 滑らかに義足を動かしながらゼフは部屋を出て行った。

アキちゃ〜ん!」

 入れ替わるように後ろのドアが開いてサンジが満面の笑みで姿を現した。
 全身を上から下まで眺めた アキは満足して頷いた。

「サンジ君、やっぱりCMに出られそう。すごく似合ってる」

「ったく、無駄な抵抗しやがって」

 サンジの後ろから出てきたゾロは自分の浴衣の胸元を整えている。

「お前が突然ひっつかむからだろうが。まあ、いいか。おかげでなんだかさまになったしよ。俺は店に下りるけど、 アキちゃんたちも先に何か飲んでてくれよ。マジシャンの連中はもう集まってるはずだし」

  アキはゼフが来たことをなんとなく言いそびれた。



 3人が入っていくとレストランの中の話し声が一瞬途絶え、視線がいっせいに集まった。思えば当たり前なのだが、店の中で三々五々思い思いの場所に立って 会話を交わしている男たちはみな黒いスーツや燕尾服姿だった。その中に入った3人の浴衣姿は想像以上に目立ったようだ。
 思わず立ち止まった アキは後ろを歩いていたゾロの胸に肩が触れた。

「なんだ?」

「ちょっとびっくりして・・・・」

「いやぁ、なんだか真っ黒だね、あの連中。その辺にいて。何か持ってくるから」

 サンジが身軽に姿を消した。
 その時、ゾロから短い音が聞こえた。携帯電話だ。

「ああ、そこにいろ。ちょっと出てくる」

 ゾロは店のドアに向かって歩きながら携帯電話を耳にあてた。

(ふぅ・・・・)

  アキはゆっくり歩いて窓際に移動した。海が見たかった。日没の名残の明るさが窓の外に見えた。

「海が好きですか?」

 不意に後ろから声が響いた。低くてどちらかといえば甘く聞こえる心地よい声。
 振り向くと黒いモーニング姿の男が立っていた。綺麗に撫で付けられた黒い髪。 アキの顔を覗き込んでいる黒い瞳。その視線は遠慮がなく不躾な感じがした。年齢は アキよりかなり上のようだった。

「暗くなる前に見ておきたかったので」

  アキが答えると男は大きく頷いた。

「わかります、僕もなんです」

 その声の響きは アキにいろいろと想像させた。もしも今 アキが「海に漂っている骸骨(昨夜 アキが読んだミステリーの1場面より)を見つけたかったんです」と答えたなら、きっとこの男はそれでも同じことを言ったかもしれない。 もしかしたら。相手と自分に共通点があると思わせること、それが目的のように思えた。なぜかはわからなかったが。

(言ってみればよかったな)

  アキの唇に浮かんだ微笑をどうやら男は誤解したらしかった。

「海好きどうし、気が合いそうですね。浴衣がとてもお似合いだ」

 男が1歩踏み出した距離の分、 アキは1歩退いた。さらに互いに1歩。そして・・・・
  アキが下がる準備をした時、男は踏み出しかけた足をゆっくり元に戻した。 アキの後ろを見上げる顔はそれまでの表情をどこかにしまい込んでいた。

「待たせたな」

 聞こえてきたゾロの低い声。事情を納得した アキはニッコリした。

「ああ、連れの方が戻られましたね」

 男が言って1歩下がった真後ろにトレーを持ったサンジの姿があった。

「向こうで最後の打ち合わせをやるって言ってますよ。どれか飲み物を持って行かれますか?」

 必要以上に男の顔のまん前に差し出されたトレーから一番近いグラスを一つ取ると、男は背を向けて歩き去った。

「油断も隙もねェ。こら、ゾロ、お前、ちゃんと アキちゃんを守れよ。どうやら連中の半分くらいは女性の敵って奴らしいぞ。ったく、派手な職業だよな。練習とかいろいろ大変らしいけど よ」

「わかったからさっさと仕事しろ。ほんとに打ち合わせ、始まったみてぇだぞ」

「わかってるよ。・・・・あのさ、 アキちゃん・・・」

 サンジは アキの耳元に口を寄せた。

「俺、大丈夫かな。変じゃねェ?」

  アキはサンジの姿の上から下まで目を動かした。

「大丈夫」

  アキの顔に浮かんだ微笑は普段と少し違うようにサンジは思った。包み込むように優しい。

「ありがと」

 言って背中を伸ばしたサンジの顔には仕事用の表情があった。綺麗でどこか厳しく笑顔で心に蓋をする。

(あとは見てるだけだなぁ)

 なんとなくそう思った アキがひとつ息を吐くと、氷の音と一緒にゾロがグラスを差し出した。

「この間よりは飲むなよ」

「下駄でちゃんと歩ける程度に。・・・あ、サンジ君・・・」

 2人は黒い男たちの中に入ったサンジの後姿を見た。足元の下駄を。

「履きなれてないよね、きっと」

「・・・どこまでもつか、だな」

 心配の種が増えた2人は顔を見合わせて微笑むしかなかった。



 暗さが一気に増して来た頃、レストランに客たちが到着しはじめた。
  アキとゾロはサンジの手でテーブルのひとつに案内されていた。そのテーブルには2人のほかに2人分の空席があった。マリエとサンジの分 だろうと アキは思った。
 半分仕事モードで入ってくる人間を観察する アキの横顔を眺めながらゾロはグラスを干した。以前 アキのボディガードでバラティエに来た時と同じような気分になっていた。

(今度は自覚がねぇからなぁ)

  アキは自分が女であることを意識した様子をまったくと言っていいほど見せない。男のようなわけではなく、性別を意識していないだけでは あるが。初めて会った頃にはゾロはそんな アキの様子が好もしかった。これまで彼が会ったことのないタイプで、偶然に縁も重なり気がついたら彼の中にも性別を超えた感じで存在し ていた。
 そのうち、ゾロはちょっと不思議に思うようになった。中性的とはいっても アキが女であることは確かで、ふとしたときに見せる表情や仕草は男としてのゾロやサンジを惹きつけるものがある。真面目な顔で感受性豊 か、色白のほっそりとした姿に何か感じる男も決して少なくないはずだ。けれど、 アキはそういう状態に関する察知能力がゼロに見えた。鈍い、というだけでは言い切れないようなその欠落ぶりにはもしかしたら何か理由や 原因があるのかもしれない。出会ってからこれまでの時間でゾロはなんとなくそんな風に思うようになっていた。
 初めてバラティエに来たときは アキはメタモルフォーゼ、ゾロはボディガードという仕事がらみだったから、 アキも最初から何かおかしな事態になるかもしれないというレーダー全開の状態だった。そして自分が変身している女の姿に備わっている魅 力については冷静に評価している様子があった。だからゾロは言ってみればとても守りやすかった。だが、今夜は。
 さっき突然 アキに近づいた男を見て、ゾロはサンジに言われる前にボディガードの気分になっていた。

(ったく・・・・)

 無自覚が一番たちが悪い。そんな風に思う自分はどこか変な気がするが考えないほうがいい。
 ゾロは空になったグラスを置いて氷が溶けきっている アキのグラスを見た。
 その時、 アキの手がゾロの手に触れた。

「ゾロ・・・・」

  アキの目は変わらず店のドアのほうに向いていた。視線を動かしたゾロは一人で入ってきたマリエを見た。

「綺麗・・・」

 あの日、マリエの店で呟いた時と同じように、同じ声で、 アキは呟いていた。
 手を加えなくても艶やかに流れ落ちる黒髪は美しい衣装の一部のように光を返す。黒い膝丈のドレスはぴったりと身体に張り付いて体の線を余すところなく見 せる。肩紐に散りばめられた銀色がしっとりとした肌に明るさを加え、線が美しい手足が静かな佇まいを見せる。

 軽い足取りでマリエの前に現れたサンジは静かに一礼した。
 マリエの深い色の唇が曲線を描いた。

2005.7.6

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