青い薔薇 5

イラスト/ こんな風に潔く、過ぎた過去が身体に纏わりつかないように生きてきた男もいるのだ。

 サンジは黙って子どもの頃に住んでいた街との接点を探すゾロを見ていた。
 ゾロの部屋には写真のアルバムもアドレス帳もなかった。
 ようやく引っ張り出したノートタイプのPCは見るからに少し古いタイプのもので、その中のデータにもゾロの過去はなかった。

(刀だけ担いで生きてきたのかよ)

 サンジはなぜか悔しさのようなものを感じていた。
 サンジにはバラティエという職場があるが、そこは言ってみればサンジの古巣であり故郷でもあり、バラティエに君臨しているゼフと何人もいる古株はサンジ の幼い頃からの姿を全部知っている。いずれも悪口雑言と罵詈の固まりのような男たちだが、サンジと長い記憶を共有しているサンジの親代わりであることは確 かだ。
 以前、 アキがサンジのことを「大切にされてきた人」と表現したことがあった。どこが、と思ったが、反抗期の頃に周り全員が自分に対して過保護 だと感じて反発していたことを思い出した。 アキの顔には微笑みとどこかかつえたような表情があったから、サンジは照れ臭いような困るような気持ちになった。
 その時ゾロは黙っていたが、やがてヴァイオリンを弾きはじめた。流れる音色を聞いているうちに アキの表情が穏やかになったのでサンジは安心したが・・・やっぱりちょっと悔しかった。 アキがゾロに感じるものとサンジに感じるものは違うのが当り前だったが、そこに優劣をつけそうになっている自分に気がついた。
 無口で強面でドンとして、単純で不器用、抱え込まれたら懐が深そうで。その性質の根源が潔さにあるとしたら。

(アホくせェ)

 サンジは唇を歪めた。
 彼がゾロを気に入った原因こそ、多分そういうゾロの性質ゆえだとわかっていた。

 改めて部屋の中を見回したサンジは、ひとつ、ゾロの過去の気配がする物を見つけた。

「なあ、ゾロ。そのメトロノームさぁ・・・」

 サンジが終いまで言わないうちにゾロは顔を上げた。まっすぐメトロノームに向いた瞳はそのまま後ろの窓ガラスを通り越して何かを見つめているような気が した。

「ああ・・・それがあったな」

 スッと立ち上がったゾロは窓辺に歩いていってメトロノームを手に持った。
 振り向いたゾロの顔にあるのは決意だろうか。
 サンジはその視線を受けると先にたって部屋を出た。



「どうだ、何か見つけたか」

 夜の中で車に寄りかかって立つエースの手には携帯電話があった。

「ああ、一つだけだがな」

 ゾロが答えるとエースは車のドアを開け、尋ねるように片方の眉を上げた。
 本当なら・・・とゾロは思う。エースは アキとの待ち合わせ場所に戻り、サンジは アキが帰ってきた場合に備えてマンションに残る。これがこれからそれぞれが取るべき行動だろう。それならば。
 ゾロがサンジの方を振り向くと、サンジはわかってるぜと言いたげに唇を上げ、それから首を横に振った。

「待つばかりってのは性に合わねェよ。お前だけ動くなんてずるいしよ、俺も行くぜ。部屋にはマリエさんにいてもらう」

 ゾロはため息をついた。
本当は今とるべき行動云々ではなくて、ただ、1人で動きたかった。普通なら他人に見せる必要もない、自分も心の底に埋めかけていた記憶を引っ張り出すこと になることがわかっているから。
 そして、サンジが待っていられるわけがないということもわかっていた。

「待つのが苦手っていうなら俺も負けないぜ。いいから、乗れ。今は3人一緒でいいさ」

 エースが車のルーフを1回叩いた。
ここにも1人、ゾロの睨みが利かない男がいた。

「ほらよ、ゾロ」

 ゾロの前に回ったサンジが後ろのドアを開けて手招いた。

「ったく」

 ゾロは厳しい顔を崩さないまま呟くと身をかがめて車に乗り込み、一つの街の名前だけを告げた。




「なあ・・・・そこってお前があいつとガキの時に一緒だった街なのか?」

 サンジの声が静寂を破った。
 その街に行って何がわかるのか。
 沈黙を保っていたゾロの全身から溢れる空気のためか、サンジとエースはそれぞれにゾロに倣って口を閉じていた。尋ねても答えは戻らない、尋ねるとゾロの 周りのその空気が冷えてしまう予感があった。
 それでもサンジが口を開く気になったのは、ゾロがほんの少し動かした視線を感じ取ったからかもしれなかった。ずっと正面を向いていたゾロが窓の外に目を 向けた後また正面を向き、それから心持ち、隣に座るサンジを意識に入れた。その気配を読むことができた。

「いや・・・あの街じゃねぇ。あそこの次に俺が暮らした街だ」

 ゾロはこれまでいくつの街を過ぎてきたのだろう。
 サンジは煙草を咥えて続きを待った。

「そこに何がある?」

 最初は裏道を抜けるように車を走らせていたエースは、途中からナビに合わせるようになっていた。土地勘が切れたのだろう。

「生きていれば、男が一人いる」

 ゾロの低い声にサンジは眉をしかめた。

「生きてればって、その人、そんなに年なのか?」

 ゾロは目を閉じた。

「いや。50にはなってねぇ。・・・・病気なわけでもねぇ。そいつは生き方が半端じゃねぇんだ」

 背もたれに身体を預けて弛緩するゾロをサンジは見つめた。
 このゾロが半端じゃないという生き方をしている男。そしておそらくあのメトロノームをゾロに渡した男。想像がつかなかった。

「・・・そいつが俺の思ってる男だとしたら、なんとなくあんたのことも今よりわかる気がするな」

 エースが言った。

「街の名前を聞いたときにもしかしたら、と思ったんだが。その男の正確な居所は誰も知らねぇはずの男の名前。当たってたら思いがけない見つけもんだ」

 ゾロは薄く目を開いた。

「見つけても何が変わるわけでもねぇだろ。あいつはまた姿を消すだけだ」

「はは、そうかもな」

 幅が広い道に入り、エースは一気にアクセルを踏んだ。




 暗かった空はいつの間にか白んでいた。外の景色が見えはじめ、吹き抜ける風が運んでいく砂埃がフロントガラスの前を横切った。
 その街はメインルートから2本、3本と脇にそれた小道に続いており、どこからか気がつかない間に車はもう中に入っていた。

「小せェ街だな」

 サンジがつぶやくとゾロは目を開けて身体を起こした。

「どこへも通り抜けねぇ行き止まりの街だ。・・・・このまままっすぐ海に向かって走ってくれ。そのうち崖に出る」

「え・・・ここって海の近くなのか?」

 窓に顔を寄せるサンジだが、それらしい景色は見当たらない。
 エースが笑った。

「しばらく前から段々登ってきてたんだよ。ここは結構高い場所だ。その崖とやらに行けば、多分、海があるさ」

 車は時の流れに取り残されたような街の中を通り抜けた。
 その途端、視界全体に海が開けた。
 高い崖の先端を取り囲むように見える一面の青。
 目を奪われたサンジはようやくその崖に一軒の家があるのに気がついた。こじんまりとした佇まいのそれは小屋と呼んだほうがふさわしいかもしれなかった。

「ここか」

 サンジの声にゾロは答えなかった。
 家の前にエースが車をつけると、ゾロはドアを開けて先に降りた。
 それと同時に家の扉が開いた。

「ぬしが人とつるんでいるところなど、絶対に見ることはないと思っていたぞ。いや、それよりもぬしと今一度顔をあわせることそのものが存外だ」

「・・・同感だ」

 開いた戸口から姿を現した一人の男は全身黒ずくめだった。
 黒対黒。
 ゾロの瞳が真摯な色を帯び、男の金色の瞳を見た。

2005.8.2

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