青い薔薇 9

イラスト/ 途中で一度給油するためにスタンドに寄って道を確かめた時以外、ゾロはひたすらバイクを走らせていた。
 全身に伝わるエンジンの振動とヘルメット越しに聞こえる風の音と一緒にこれまで辿る気にならなかった過去の記憶がバラバラにフラッシュ再生のように蘇 る。

 白い額から幾筋にも別れた赤い血を流して倒れている少年の姿。
 事情がわからないままに放り込まれた暗くて空気がよどんだ密室。
 壊れたバイクのエンジンが切れたその時、倒れこんだ傷だらけの全身を見下ろした金色の瞳と咽るような薔薇の香り、たくさんの色。流れる音色。
 唇に鮮やかな紅を、耳には弟を守る必死の響きを残して消えた一瞬のシルエット。
 倒してきた男たち。
 重ねた肌。
 彼の姿に圧倒されながら「サンプル」を願った柔らかな声。子どものように見える寝顔。微笑。浴衣。恥ずかしそうに染まった頬。

 ゾロはその場面場面を心に映しながら自分の中にこれほどの記憶が残っていたことに軽い驚きを覚えていた。その驚きにつられるように金色頭のコックの子ど もくさい笑顔や怒鳴り声まで再生され、シールドの奥の誰にも見えない空間でゾロは苦笑した。

  アキがいなくなったことの裏側にカズヤがいる。その直感的な確信は変わっていなかった。けれど、最初に感じた怒りと困惑のうち怒りは徐 々に抑えられた冷たい感情になり、戸惑いは膨らんでいた。
 最初は アキにメタモルフォーゼを依頼した、ただそれだけだったのか。 アキ自身を狙っていたのなら何も依頼人を演じて手間隙をかけ、エースに目撃されなければいけない理由はない。
 それとも、 アキの傍にゾロがいることを知っていたのだろうか。知っていて・・・・。

(じゃねぇよな)

 マリエの店でゾロを待っていたカズヤの顔には驚きがあった。お互いに別れた頃の子どもの姿はしていない。残る面影を探しながら互いを確認した瞬間は嘘で はなかったと思う。もしもあらかじめゾロの存在を知っていて調べていたなら今の顔ぐらい知っているだろう。だから、カズヤが知っていたのは店にゾロが来る という情報だけだったはずで、それはどういう方法かで アキから手に入れたものだ。
 ゾロの心がぐっと冷えた。カズヤはどうやってゾロの存在を知り、店のことを聞いたのだろう。用心深い アキが初めて会った男に簡単に話すはずはないように思えた。

(カズヤ・・・・)

 ゾロに言いたいことは沢山あるはずだ。
 ゾロも言わなければと思っていることがあった。ずっと心のどこかに沈んでいたものがあの時にふっと浮かび上がってきた。ゾロが言わなかったのはサンジが いたからだが、カズヤが何も言わなかったのはなぜなのだろう。

(あいつはなぜ俺の前に現れた)

 ゾロにはそれがわからなかった。
 カズヤが アキに何をさせようとしているのか。
  アキは今・・・どうしているのか。
 また心が冷えた。なのにどこかひどく熱い部分があった。



 小さな街だった。寄ったスタンドですぐに「屋敷」の場所を教えてもらうことができた。言われたとおりに街はずれに向かって走ると山がどんどん近づいてき た。圧倒される緑が目の前にあった。
 「屋敷」は林を切り出した奥の土地に建っていた。ゾロにとっては既視感がある建物だった。子どもの頃に何度か訪れたことがあるカズヤの家。はっきりとし ないその記憶に重なるものが多い気がした。
 この中に アキがいる。ゾロは家の横に止めてある車を見た。大きくて型が古く見えるその車はやはり記憶に残っている気がした。記憶は10年ほども 前のものである事を考えると勘違いかもしれないとも思った。

 ゾロはヘルメットを脱いでサドルに載せた。夕暮れの空気は顔にぬるくあたった。グローブを外し、ジャンバーも脱いだ。一瞬、身体一つの状態を意識した。 刀も銃も木刀もない。それが正解だと思った。この先にいるのがゾロが思っている2人ならば彼には向ける切っ先も引く引き金もない。
 もしも アキの身に・・・・。時折浮かぶこの言葉をゾロは考えないようにしていた。予想して何がどうなるものではない。ただ、 アキを取り戻す。それだけだ。

 重厚なドアの前に立ったゾロはそのまま取っ手を押した。ゆっくりと動いたドアの奥には広い空間があった。正方形のように見えるそのホールの壁にはさらに いくつかのドアがあった。けれど、ゾロが見上げていたのは空間の中央に曲線を描いてのぼる螺旋階段だった。記憶ではその先に家族それぞれの部屋とゾロが一 晩借りた来客用の寝室があった。
 物音は聞こえなかった。それでも、いる。階下に気配はない。いるのは2階だ。ゾロは本能的に階段をのぼった。

 階段をのぼりつめた先の廊下を歩きながらゾロは一部屋ごとの気配を探った。手前の部屋から順番に進み、やがて一番奥のドアに着いた。
 ひとつ呼吸を整えたゾロはいつもと違って感情に蓋を仕切れていない自分に気がついた。何かが怖いわけではない。でもここで止まった自分はもしかしたら臆 しているのだろうか。それなら妙な話だと思う。もしもカズヤが銃を・・・子どもの頃のカズヤからは想像できない姿だが・・・持っていてそれを彼に向けてき たとしてもゾロの心に恐怖はない。銃を持っていなければカズヤの力がゾロを上回る可能性はほとんどない。
 では、なぜ自分はここで止まる。
 ゾロは何かを振り払うように頭を振ると取っ手を回して静かに押した。

 窓から斜めに差し込む夕日の色が部屋の中を染めていた。ゾロはその中で純白に浮かび上がる寝台を認め、それからその上にある人影を認めた。
 一歩踏み出したゾロは彼に向かって差し伸べられた手を見た。白いシーツの下に隠れた体と露になっている細い肩、首、伸びた腕。真っ直ぐに彼を見る大きな 瞳と声がないまま彼の名を呼ぶ唇の動き。

「お前・・・」

 気がつくとゾロは アキの傍らに立ち全体が震えているような色白の顔を見下ろしていた。手の中に握った自分よりもずっと小さな手から伝わってくる温かみを 思わずさらに握りこむ。

アキ

 名前を呼ぶ事に意味があるような気がして呼んだゾロの声は低かった。お返しに アキの口からこぼれたかすれた様な空気の音に違和感を覚えたゾロはベッドの上に広がる何枚もの紙に気がついた。その紙に綴られた沢山の 文字、そして アキのもう一方の手を握ったまま上半身を伏して眠る男の姿に。
 瞬間的に力が入ったゾロの手を感じた アキの瞳に不安の色が浮かんだ。
 ゾロはベッドに座りそっと手を伸ばすと アキの頭を静かに自分の胸に押し当てた。

「声が出ねぇのか」

 細い身体から滑り落ちそうになったシーツを巻き直してやり背中に手を回すと アキの両腕が彼の身体に回りすがりつくように抱きしめてくるのを感じた。それから2人の横で身を起こす者の気配もわかったが、ゾロはそ のまま アキの背中をゆっくり撫ぜた。胸を濡らしはじめた熱いもの、伝わる震えを受け止め続けた。

「ゾロ」

 男・・カズヤの声が呼んだ。
 ゾロは視線を向けようとせず、首を小さく横に振った。

「・・・わかったよ」

 カズヤは立ち上がると部屋を出て行った。彼が2人に向けた表情をゾロは見なかったがその声の中にかすかに安堵の響きを感じたように思った。

「よくわからねぇが・・・頑張ったな」

 腕の中に向かって呟いたゾロの口元には静かな笑みがあった。

2005.8.24

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