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等速直線運動
ヴィエナ・マッセ
扇風機
狐火
ビスキュイ
犬
ぬんちゃく
クレープシュゼット
「『と』・・・・・?」
ゾロは思わず頭を掻き毟った。右手に持っていたグラスをテーブルに置くと左手の中の携帯電話を持ち直し、眉間に皺を寄せて画面を睨みつける。
さっき『取り立て』は使ってしまった。『とんぼ』と打つのはどうも気乗りがしない。制限時間はメールが着信した時からの30分という気長な勝負。考える 時間はたっぷりあるはずなのだが・・・・
「・・・大体、何でこんなことになって・・・・」
呟くゾロの口元は実は少々気弱な風だ。自室で一人切りだからこそ自分の顔に許す表情。ゾロは一声唸ると後ろに身体を倒した。
隣室に人の気配はない。そのさらに隣室の中も今は無人であることはわかっている。
アキはあと数日ではあったがまだ入院中であり、サンジはレストランに出勤中だ。一人気ままな夜。これはむしろゾロにとっては日常で珍し いことではなかったのだが、この2週間はちょっと事情が違っていた。
アキの入院。人工的な声帯の故障というのは外科手術と故障した機械の修理を必要とし、他に身体的な損傷や疾病があるわけではなかったの で、
アキはその場所でごく普通に生活しているようだった。ゾロは3回ほど見舞いに行ったが、行くたびに高さを増している本の山に苦笑しつつ 次に行くときにはそれを高くする手伝いをした。
3回ともサンジに誘われてつきあう形の見舞いだった。サンジはそのことでゾロを責めて怒る。1日で自由になる時間は平均すると多分ゾロの方が多い。だか らもっと見舞いに行け、と言う。そう言ってブツブツ怒りながらも、なぜかサンジはゾロの好みの一品や酒を運んで来て置いていったり、時には一緒に飲み食い したりする。てめェは見かけによらず待つタイプの人間なのかもな、と一人で納得した様子を見せたりもする。ゾロはそんなサンジを放っておいて好きにさせて おく。いつもと同じだ。
先週、
アキがゾロとサンジ2人に宛ててメールを寄越した。珍しい。一瞬胸をよぎった不安のようなものを心の中で押しつぶしてメールを開くと、 そこには
アキの部屋にあるはずの1冊の本の『探索願い』が書かれていた。その結果ゾロとサンジはまさしく未知の世界に踏み込む気分で2時間かけ てその本を探し出したのだが。
そのメールがきっかけで1日に1回程度、サンジか
アキからメールが来るようになった。
アキからのものは喉の状態の経過報告、サンジのは
アキを恋しがる泣き言がメインでゾロにもそれを送ってくるのは明らかにオマケ的な行動だろう。ゾロは返事を返したり返さなかったりだっ たが、それでもいつの間にか部屋に戻ると一度はメール着信の有無を確認するようになっていた。そう、昨日まではずっとそんなペースが続いていたのだ。
なのに、今日。どうやらレストランは珍しく客入りが悪いらしい。暇を持て余したサンジが突然メールで『しりとり』を始めた。サンジからゾロ、ゾロから
アキ、
アキからサンジ。はじまったときに感じたいやな予感はどうやら大当たりだったようだ。
アキは書痴の数歩手前の人間だ。雑多なジャンルの言葉が頭に詰まっている。サンジは料理関係全般に強い。ゾロにすれば本当にそんな名前 や専門用語があるのかどうか全く判断できない横文字の名前を送りつけてくる。ゾロは自分がごく普通の読書量の平均的な人間だと思っている。どう考えてもこ れは自分には圧倒的に不利な勝負だ。いや・・・時間つぶしのただの遊びだとはわかっているが。
「・・・にしても、『ぬんちゃく』は俺の守備範囲だろう・・・・」
ゾロは苦笑した。嬉しそうに言葉を打つ
アキの姿が浮かんだ。
と、着信音が鳴った。この音はサンジだ。自分で勝手に設定していった古いスタンダードなジャズの一節。それにしても今はまだ順番的にはゾロの番のはず だ。ゾロは起き上がってメールを開いた。
“トイレ”とか“とんぼ”とか打てねーでくじけてんだろ?酒の名前でも書いてみろ
ゾロはまた頭を掻いた。ああ、『トイレ』もあったな、と思う。到底打つ気にはならなかっただろうが。酒の名前というのはサンジにしては気が利いてるとは 思うが、やっぱりあいつはまだ甘い、とも思う。ゾロは部屋に大体いつも買っておく数種類の酒以外は実はまったく酒にこだわりはない。飲んでみて美味ければ それでいいし不味かったら次は避ける。避けるにしても特に記憶に名前を刻んでおくわけではなく、あくまでもその時の気分と勘だ。それに外でのむときにも毎 回新しい酒を試そうとは思わない。だから、ゾロはサンジが思っているほど酒の名前は知らないのだ。最初が『と』ではじまる名前となるとすぐに浮かぶストッ クはない。
しかし・・・・酒か・・・・・。
思いついたゾロはボタンを押した。
鳥鍋
送ってしまってから何となくサンジの顔を想像した。
また、着信音が鳴った。ヴァイオリンの音色は
アキだ。
ベリーニ
ゾロは首を傾げた。そうするうちにサンジが。
ニライ・カナイ
2人が送ってきた言葉はもしかすると酒の名前なのだろうか。それにしてもやけに反応が早い気がする。
ゾロはしばらく画面を見ていたが、やがて気を取り直した。
岩魚
あっさりと塩焼きがいい。
また、着信音が・・・・
ナーダ・ジュゼッペ
ベル・エポック
何だ。一体どんな酒なんだ。
串焼き
キール
ルシアン
これまでで一番早い反応を見せてサンジのメールが届き、その後空気が沈黙した。
ああ、とゾロは気がついた。ルシア『ン』だ。
「・・・盛り上がって自滅しやがって」
ゾロは電話を置くと思い切り身体を延ばしてからグラスに氷を足した。
数分後・・・それは恐らくサンジがショックから立ち直るためにかかった時間だろう・・・サンジから立て続けに4通、メールが届いた。喜怒哀楽。ゾロは声 を出して笑った。きっと
アキも笑っているだろう。
どうやら退院祝いのメニューは決まったようだ。