拍手SS

 突然アコーディオンをせがみはじめた少年の顔を母親は不思議そうに覗き込んだ。
 この1年で引越しを繰り返し結局戻ってきた懐かしい街で、住まいだけは元いた場所とは反対側に建っている新しい部屋を借りた。そうして生活に親子のペー スが戻り始めた頃から、少年はこれまで生きてきた間に触れたことがないはずの楽器を欲しいと言いはじめた。そんな風に何かをねだる声を聞いたのは1年ぶり かもしれなかった。

「どうしてアコーディオンがいいの?学校で習った?」

 そう、学校でなら。様々な楽器をほんの少しずつ体験していても不思議ではない。けれど、少年はどこか嬉しそうに首を横に振った。

「学校では触れなかったけど。でも、友だちに弾き方、教えてもらったんだ」

 友だち。
 母親はふと、それはつい最近・・・この場所に戻ってくる直前のことだったのではないかと思った。いつのまにか沈みがちになっていた少年の顔色に気がつい た時には何をどうしていいかわからなくなっていたあの頃。見えていた答えに背を向けて見ないようにしていた日々。それが自分の子どもを追いつめていること に気がつきながら、目に見えない切っ掛けを探してあがいていた時間。少年はある時から突然明るい笑顔を見せることが段々と多くなった。自分が産んだはずの 存在が自分の手を引き上げてあたたくつつみこんでくれるような・・・そんな気持ちを感じる場面が増えた。そして彼女は気持ちを決めた。
 少年が偶然に出会って縁が結びついた友だち・・・恐らく学校の外でみつけた存在。最初警戒心をかきたてられたその存在は、いつか少年の笑顔と一緒に母親 の中で小さな支えになっていた。

「あ、でもね、すぐじゃなくていいんだ!お小遣いも貯めるから・・・・でも、すごく言いたくなるの、欲しいって。忘れないように」

 少年にとって時間の流れはその日その日が真剣に向き合うことの繰り返しで、大人のそれとはちょっと異質だ。吸収するものが多ければ多いほど忘却されてい くものも多い。少年がアコーディオンをねだるのは、その友だちのことを直接口に出来ないゆえの忘却を防ぐ手段なのかもしれなかった。

「そうね、クリスマスには何とかなるかしら」

 母親が微笑むと少年が抱きついた。

 仕事を持った母親が少しでも少年とのすれ違いを減らすために買い与えた携帯電話。そこには日々確実に登録された名前が増えているようだったが、最初に登 録した何名かの分は別グループに登録してデータを大切にしていることを母親は知っていた。母親の番号もそこに一緒に登録されている。ある日、少年は秘密を 分け与える時特有のわくわくした顔でそこに登録した名前を見せてくれた。3人分。どれも短くて覚えやすいものだった。

 ある休日。少年と母親がテーブルで向かい合って麦茶を飲んでいると、インターホンのベルが鳴った。それに応えて配送業者と向き合った母親は前に置かれた 大きな箱に貼られた伝票に記憶に触れる名前を見た。

「シュン、荷物が届いたわよ」

 半信半疑な様子で玄関にやってきた少年はその名前を見ると文字通り飛び上がった。

「開けていい?すぐ?」

 母親の返事を待たず、母親の目から隠すことも忘れて少年は力一杯箱を開けた。一番上に載せられた薄紙をよけた少年は瞳を大きく見開いて箱の中を見つめ た。そっと見下ろした母親の目に、その不思議な中味が見えた。
 灰色の身体に斑模様がある大きな魚のように見えるぬいぐるみ。
 無造作につっこまれたような何種類もの菓子。
 そしてやわらかな布で包まれていたつややかな木製の六角形。
 少年はひとつひとつ大切そうに両手で触れると、最後にそっとその美しい楽器を・・・アコーディオンを持ち上げた。それから傍らに立つ母親のことを思い出 したのかちらりと視線を上げ、母親がゆっくり微笑むと満面の笑顔を浮かべた。

「・・・弾いていい?」

「・・聞かせてくれる?」

 同時に囁いた親子は良く似た目を合わせて笑い、少年は静かに弾きはじめた。
 初めて聞く母親の耳にもどこか懐かしく響く哀愁のメロディ。突然の子どもの姿に半分放心した母親は箱の一番底に横たわる一枚の写真を見た。そこにはどう 見ても子どもとは思えない年齢の3人が見えない輪を感じさせるやわらかさで微笑んでいた。純粋で恥ずかしげで緊張もして。母親はその写真をうらやましく感 じるとともになぜかこぼれそうになった涙を微笑の奥に引っ込めた。
 写真を静かに指差した母親に少年は照れくさそうに笑った。

2005.11.8

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