one day

写真/クローバー 朝、腹の下のあったかさに満足しながら目覚める。
 上下するゾロの腹。このリズムは眠るのにとてもいい。初めてあった日からずっと気に入ってる寝床。この上で眠っているうちにいつの間にか大人になった。
 自分だったら、と考えると腹をこんな風に晒して眠るなんてやってみたくもないけれど、ゾロはよく眠っている。気分は良さそうだ。なのに目を覚ますと、お 前のせいで寝返りを打てなくて首が痛ぇ、とか何とか呟く。そうか?疑わしいので初めの頃は嘘を看破したことを知らせるためにパンチの一つもくらわせていた が、そのうちこれがゾロの朝の挨拶なんだとわかった。素直じゃない。猫っぽい。
 ドアに向かって歩いていくと、ゾロは何も言わないうちに3センチ、開けてくれる。もう子猫の身体じゃないんだから、と思う。でも、ありがたく通り抜け る。
 行って来るぞ、も、行って来い、もない。
 ゾロは人間の言葉に限れば口数が少ない。
 ちらっと振り返ると閉まっていく細い隙間の奥にゾロの目が見えた。
 目、背中、手の平、指先。この辺がゾロの口よりもよほど沢山言葉を喋るから、不自由はない。人間が『雰囲気』とか『スキンシップ』とか呼ぶこれ。俺には とってはちゃんと言葉だ。




「おう!来たな、フレーク。今日もマリモにとって食われてねェな。よし、さあ、入れ」

 準備完了しているらしい朝食の匂いのせいで、この時、俺はつい、わざわざ鳴き声を上げて返事をしてしまう。小走りに部屋に駆け込んでしまう。小さかった 頃の名残りに自分を恥じるが、サンジは目を細めてそんな俺を見てる。

「ほら。猫舌なんて言ってねェで、あったかいうちに食え」

 軽く炙ったサーモンにキャットニップのペースト。くすぐられる鼻腔とこみあげる美味さの予感に、つい、また大声で鳴いてしまう。
 朝食の皿と水の皿。置いた後もサンジはしゃがんだままできるだけ高さを俺に近づけてる。

「気持ちいい食いっぷりだがよ、お前、やっぱ食ってる時が滅茶苦茶可愛いな〜」

 細めていた目をさらに細める。
 唇に挟んだ煙草には火をつけない。俺が、まだ食事中だから。
 断っておくが、俺は男だ。
 サンジは人間相手のときは男に向かって『可愛い』とは絶対に言わない。相手が男の場合と女の場合でサンジは言葉も表情も体温の質も・・・・サンジらしさ をがらりと変える。疑いながら観察を重ねた結果、どうやらどっちも本物、サンジそのもののようだ。個性、というものか。
 俺は男で、でも猫で。
 俺に向かう時のサンジはいつもあったかい。
 可愛い、と言われると身体が自然と丸まりたがる。
 こんな時、思う。猫だってことも悪くない。




 ドアの前で座り込む。実は、このドアを開けさせるのが意外に難しい時がある。住人が今どういう状態か簡単に予想できないからだ。
 バスルームに篭って人間としての外側を変えている時もある。本人そのものの匂いは変わらないから俺は別に困らない。困るのはこの作業をしている時は住人 にはまず外の音が届かない。たとえ耳に届いていても心は受け付けないからだ。こうなると手も足も出ない。
 本の中にいる時は・・・・この部屋にはこの本というのがかなり沢山あるのだが・・・俺がここにいることを知らせることができてもドアが開くまで予想外に 時間がかかることがある。急いでドアを開けてくれようとして足元の本を蹴っ飛ばし、結果として進路に溢れた障害物を避けて来なくてはならなくなって遅れる のだ。まあ、いい。気持ちは俺に向いてるわけで、待ってる間も満足できる。
 あとは、俺が絶対に邪魔をしたくない時間。それは住人が眠っている時。俺は何度も眠るところを見守られたことがある。何度も、何度も。枕に頭を並べて眠 る時の何ともいえない気分を知ってる。だけど、俺は先に眠るばかりでそいつが眠るところを見守ってやったことはない。とにかく寝つきが悪くて、眠りも浅い 人間なのだ。一緒に眠ってる時にちゃんと眠っているか気になって目が覚めたときも、俺が目を開けるとそいつもすぐに起きてしまう。起きてにっこり嬉しそう に笑う。
 だから、思う。もしも今 アキが眠っているのなら、俺は起こしたくない。邪魔したくない。気持ちのいい眠りの時間が少しでも長く続けばいい。
 なあ、 アキ。ちゃんと寝てるか?
 今呼んだら、起こしてしまうか?
 ダメだと思うほどに顔を見たくなるのはなぜだろう。じっと座っていると尻尾の先が時々自然に揺れてしまう。この気配を感じて欲しいと無理な願いを伝える ように。
 と、ドアが開いた。

「フレーク?よかった、もしかしたら寄ってくれないのかと思って不安になってたの。ゾロもサンジ君も仕事行ったよね。一緒にお留守番、しよ」

 ドアの前で悩んでいたのが嘘のように俺の身体は自然と弓なりにしなって アキの腕に軽やかにジャンプを決める。爪で傷つけたりしない。あれをやってたのは随分前、子猫の頃だ。
 ドアの前で悩んでいた時の俺には、多分ゾロとサンジが乗り移ってた。 アキが心地よいと感じる距離を探りながら時々考えすぎる2人。
 でも、今は俺しかできない俺そのもの。腕の中に飛び込むのも、頭をこすりつけるのも、喉を鳴らすのも全部できる。
 猫であることの優越。
 悪くない。
 俺はゾロが俺にくれるあのあったかさを アキにやりたい。サンジが俺にくれる心地よさも アキにやりたい。
 俺はいつでも2人から好きなだけ貰えるから。
  アキは多分俺みたいに自分から欲しいと言えないから。




  アキの部屋に窓から夕日が入りはじめた頃。
 まず、ゾロが帰って来た。前は一回自分の部屋に帰って少しだけ時間を潰してからこっちに来たけれど、この頃は素直にまっすぐベルを鳴らす。
 サンジは今日は最初にゾロの部屋のベルを鳴らした。いないことを確認してからこっちに来る。そうじゃない日は以前のゾロのようにまず一回自分の部屋に帰 る。これは素直じゃないとかそういうのじゃなくて習性とか主義とかいうものらしい。
 俺は2人が入ってきたことはわかっているが、一日分の眠気が全身を満たしていて目を開けることができない。まず、ちょっとだけ眠ってから・・・・やわら かい アキの膝の上で・・・・それからサンジに夕食をねだろう。ゾロの手の熱を感じに行こう。

「なに、こいつ、ずっと アキちゃんの膝で眠ってるの?」

「昼間は長い時間読書につきあってくれてたの。横から本を覗いて頷いたり時々気に入らなくてそっぽを向いたりしてた。昼寝をずっと我慢してくれてたみたい だから、疲れたのかな」

「・・・・我慢してお前につきあってたってのか?」

「うん。フレークは優しいから」

「そりゃあ、 アキちゃんらしい話だけど、でもよ、こいつ、結構我侭だよな。誰がそう育てたかはわかりきったことだけどよ。なあ、親バカマリモ」

「・・・てめぇに言われたくはねぇ、このアホコック。今日もこいつのために魚の一匹も仕入れて来たんだろ?」

「魚は・・・・・まあ、買ってきたけどよ、あくまで アキちゃんの夕食メニューを充実させるために買い物したついでだ、ついで」

「フン」

「くぉら!鼻で笑いやがったな!」

 相変わらずの会話が聞こえる。きっと アキは目をちょっと丸くしながら笑ってる。
 ほんとに進歩がない・・・人間と言うのは。俺は動くものなら何にでもじゃれついていた頃が夢みたいだと思えるほどの大人猫になったのに。こいつらは全然 変わらない。なんでこんなに変わらずにいられるのか不思議だ。3人一緒だと・・・何か不思議に心地よくバランスがとれていて、一緒にいる俺までつられる。
 薄目を開けると アキがそっと俺の顔を覗いた。

「起こしちゃった?まだ寝てていいよ」

「お、起きたか。あ、俺さ、今日クソジジィにコレ、渡されたんだけど・・・・」

 ヒュン。
 何かが目の前を横切った。サンジの手が握っている細い棒のようなもの。
 ヒュン、ヒュン、フルル。
 しなりながら左右に動く棒の先には何かふわふわしたものがついている。
 フルルルル、フルルルル。
 ・・・・俺はもう子猫じゃない。条件反射にすべてが負けるような子猫じゃない。落ち着いて身体を丸め、物事のいろいろを考えながら昼寝をするのが最高の 楽しみ・・・・

「うお!すげェ勢いで飛びついてきたな」

「・・・猫じゃらし、か・・・」

「すごい。本当に嬉しそうにじゃれてる」

「ほ〜れほれ、ジャンプもいけるか?」

 ジャンプは俺の得意技だ。仕方がないから、つきあってやる。つきあうからにはとことんやる。覚悟しろよ、サンジ。

 というのが俺の日常の中の平凡な一日なのだ。
 猫じゃらしは俺にとってちょっとした事件だったが、あとはこれが普段どおり。特にうらやましいものでもないだろ?
 それでも、俺は。
 この暮らしは当分他の誰にも譲らないつもりでいる。
 俺がいるからこそ成り立っているバランスだってあるのだから。

2007.7.12

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