その日、初めて目にした“食事”は不思議な色をしていた。
 白とも違う、闇とも違う、少女の中の透けかけた琴線に触れることがない色。
 レイはそれを、薄いオリーブグリーン、と言った。上に手をかざすと肌の表面が部分的に違った感じがするのは熱いと言うことで、その原因はほの白く揺らめいている湯気なのだ、とも。
 ルリは“食事”よりもそれが載っている皿の白さの方に嬉しさを感じた。もうなじみになった存在は小さくその名を呟くことができる。

『ルリが昔していた食事はこういう形状のものではなかったはずだから。記憶がないのは当たり前のことだよ』

 レイはいつもの通りの穏やかさで食べることを少女にすすめたが、少女はそっと白い指先でそれに触れた。指の下でそれはふるりと揺れた。

「やわらかい・・・?」

『そう、そんな感じだね。ルリ、その指を舐めてごらん』

 小さく笑ったレイの声がルリの気持ちを弾ませる。理由がないままほんの少しの抵抗を感じながらルリは指を口に含んだ。その瞬間、少女の瞳は大きく見開かれた。すうっと口の中を何かが流れたような気がした。あたたかいのに同時にその反対の・・・これは『冷たい』ということだろうか。

『合成された風味の中でミントを強くしてあるんだ。食べた後も爽やかな感じが続くように』

 言葉の中には意味がわからないものが幾つかあったが、レイが自分のことを考えてくれているということがルリを次の行動に進ませる。
 白い皿の横の白いスプーンを手に持ったルリはそっとその“食事”をすくって口に運んだ。口の中に異物が入った感覚に少女は眉をしかめた。どうしたらよいのかわからないまま黙っていると呼吸で取り込まれた空気の流れをひどく意識してしまう。次第に広がる味わいは決して嫌なものではなかった。しかし舌の上から滑り落ちて喉の奥に進んでいきかけ、そうすると不思議に目が熱くなる。

『噛んで、ルリ。歯を動かしてごらん』

 咀嚼するには歯応えがない対象をぎこちなくすり潰すうちに口の中が次第に占領されていく気がして、少女はスプーンを置き、両手を唇の上で重ねた。

『大丈夫。飲み込んでごらん。飲み物も助けになるよ』

 飲み込むというのは食べ物を身体の中に入れるために喉を通すこと。わかっていてもルリはなかなかそうすることができなかった。引っかかるものを何とかしようとすると逆に生き物のように動く喉に押し出されそうになる。

『ルリ』

 ふわりと少女の顔の前に浮き上がったトレーには金色の液体を満たしたグラスが載っていた。

『これを口に含んで』

 ふくむ、というのはどうすることだろう。戸惑ったままルリはグラスを持って唇にあてた。冷たさを感じた時、反射的に喉がごくりと音をたてた。むせこみながらもルリは口の中味を飲み込むことができた。ルリは気がついたように自分の頬をさわった。濡れていた。

『ルリ・・・』

 レイの声には聞き慣れない響きがあった。思わずルリが声がする方を見上ると空間を満たしている白い光が2回瞬いた。

『ベッドに座って』

 言われるままにしばらく前に起きたままの寝台に少女が腰をおろすと背もたれ部分から繋がる弧を描いた小さなドームが細かく振動した。壁から離れてすっと伸びた白いものを少女はじっとしたまま見つめた。棒のような。先の部分が丸みを帯びた3本の部分に別れた白い棒が2本。

『僕の手、だよ』

 言葉を受け止めたルリは驚きを持ってその“手”を見つめた。これがレイの手だと言うなら怖さはない。けれどそれはルリの手とはとても違っている。
 音もなくルリの目の前まで近づいた手は3本の先端を静かに開いた。
 それが頬に触れたとき、冷たさは感じなかった。
 レイの手はルリの両頬の上を静かに上下した。濡れた頬をぬぐおうとしている。そのことに気がついたルリはそっと息を吐き出した。

『これは涙だ。飲み込むのが苦しかったんだね』

 触れるか触れないかの距離を保ちながら動く“手”は次第にあたたかくなってくるようだった。
 ルリはこわばらせていた肩の力をぬいてそっと目を閉じた。


2005.9.29

悩んだ末の書き出しです
しばらくここから続けてみようと思います