Stage 1




 今年はもしかしたら雪の第一波は早いかもしれない。
 鼻を小さくうごめかして空気の匂いを嗅いだ娘は、そう結論すると年月によって風合いが増した木製の扉を閉めようとした。そして、桃色の髪の毛に気がついた。
 『岬通り』とは名ばかりの細い街路の奥の奥にあるこの店は、『街路樹』と無理矢理呼ばれている背の高い木々にすっぽりと囲まれている。ある種類の鳥が毎年やってきては使う巣をいくつも高い枝の生え際に抱いた木々。そこにあるのはメルヘンばかりでもない。毎年生まれる雛鳥から見れば、店のオリーブグリーン色の屋根は落下=死という図式の悪夢な場所であるはずだ。
 その木々の中、一本の根元に座り込んでいる子どもの頭が桃色だった。祭りになるとつい懐かしさから買ってしまっては途中で飽きて持て余す綿菓子に似ているのは色だけではなく、細かなカールを限界までくっつけたような髪型も目に新鮮だ。背中を木の幹に押し当てて膝を抱いている姿は性別不明で、どこか焦点が定まらない感じの視線はますます正体不明な雰囲気作りに役立っている。
 こういう場合は。
 娘はしばらくその場に立ったまま考えていたが、やがて無言のまま店の中に姿を消した。扉が閉まる音が響いてから数秒後、子どもはゆっくりと桃色の頭を動かした。そこに小さな建物があることに初めて気がついたのかもしれなかった。




 道で眠っていた落ち葉という落ち葉をすべて巻き上げながら猛進してきたのは深紅の小ぶりなスポーツカーだった。開いたドアからどうやってここまで折りたたんできたのか不思議なほど長い足をスラリと下ろした娘はヒールの音も高く大股で進んだ。怒らせた肩の上で車と同じ赤い髪がサラサラと揺れた。

「今日よ、今日!この初日に来れないかもしれないっていうのは、どういうことよ?リオナ」

 ノックとドアを開けること、そして会話を同時にはじめながら入ってきたその姿を店主リオナは静かな眼差しで見上げた。尊大できつい口調も燃え上がるような髪の色もこの友人、ハバにはひどく似合っていると今更ながらに感心した。どこからどう見ても美人。それがハバの一番わかりやすい特徴だ。

「演技もそうだけど、あんたには本の出来をちゃんと判断して欲しいのよ。評論家、なんて名前がついた気分屋はどうでもいいの。わたしの基準はあんただけでいい」

 ハバは一見物静かで穏やかなばかりに見える小柄なリオナを見下ろした。店の入り口にあるカウンターに座っている姿は年齢を超えていてまるで少女のように見える。本人はそのことをあまり気に入ってはいないようで地味な色と風合いの服ばかり身につけるのだが、ハバはいつかリオナの頭の天辺からつま先まですべての衣類と装身具、靴を見立ててやって自分の行く先々に連れ回すことを狙っている。その感情は保護欲とも・・・・実際はリオナの方が年上なのだが・・・・友情とも恋愛感情ともつかず、それでもなぜか数少ない大切にしたいものなのだということだけはわかっているのだ。不思議なほどに。

「ほら、もう今から行くわよ!リハーサル抜けてきたんだからあんたを連れてくくらいはさせなさいよね。舞台の高さと目の高さが完璧に合う席、とっといたから。大体、今日は定休日じゃない」

 リオナは目の前に差し出されたハバの手を眺め、首を傾げた。

「でもね。外に桃色の髪の子どもがいて」

「・・・あのね、あんた、どの本棚の童話を読んでたのよ」

 ハバの視線は店内をぐるりと一周した。一階と二階の壁のほとんどは棚になっていてそこは本で埋まっている。その他に無造作に置かれた棚たちはそれぞれに独立した感じに気儘な方向に向いている。一階から二階へは中央の細い螺旋階段が繋ぎ、二階は互いに直角にクロスした通路が何本かと壁に沿ってぐるりとしつらえられた通路の他には床はなく、一階から吹き抜けになっている。少しばかり大きなキャットハウス。二人共通の知り合いがこの場所をそう表現した時、思わず深く頷いた。

「まだ物語にはなってない。外の木立の中に子どもがいるの。この状態で店を空にして出かけるわけには行かなくて。幼なそうでもドラッグをやってるのかもしれないし、全然そうじゃなくて精霊みたいな子かもしれないし・・・」

 ぽつぽつと話すリオナの声にハバは両方の手の平を上向けた。

「その中間の、単なる普通の子どもかもしれないでしょ。調べてみたの?」

 首を横に振ったリオナの顔に微笑が浮かんだ。

「もうちょっとだけ何にもわからない状況を楽しもうかと思って」

 いかにもリオナらしい言葉にハバの笑い声が響いた。

「んな暇あったら舞台に来なさいよ。で・・・どこ?」

 ハバは長い指で丸い窓に下がっている薄いカーテンを分けた。

「右。座ってたから地面に近い高さで探して」

「ふぅん・・・・・って・・・・なるほど、あれ、確かに桃色だわ。ピンクっていうよりそっちね」

「綿菓子みたいな」

「ああ、うん。そうそう」

 ぼんやりと空を仰いでいた子どもがふと、店の方を見た。

「あ・・・」

 リオナは呟いた。子どもの瞳。左右別々の色のオッドアイ。

「物語がはじまりそうな気がした?・・・よし、わかった。あの子も連れて行くからあんたも来るの。いい、これからわたしがあの子を誘うから、もしも子どもが素直に車に乗ったらちゃんと店に鍵かけて来るのよ」

 一歩間違ったら誘拐だ。
 さっさと出て行ったハバの姿が子どもの前に立った頃、リオナは微笑んだ。衝動的で行動的なハバ。それでも、実は勝利が見えない賭けは決してしない冷静さを常にどこかでキープしている。
 もしかしたら、物語がはじまるのだろうか。心の中に芽生えた予感は願望に近いのかもしれない。
 やがて、ハバは振り向いて笑顔を投げてきた。
 身軽に地面から立ち上がった子どもは軽い足取りで赤い車に乗った。
 


2006.10.20

ちょっと気分転換したくなりまして
軽い感じのお話を書いてみたくなりました