Stage 2




 ハバの運転は下手ではない。むしろ上手い。けれどその技術は安定した走行に結びつくとは限らない。するすると群れた車たちの間をすり抜けて可能な限りの最速ラップを狙うレーサーに似ている。それでもリオナがあまり乗り物に強くないことを知っているハバはアクセルを踏み込む角度を一段控えて運転しているようだった。
 ハンドルを切りながらちらりとリオナの顔を一瞥したハバは、そこに浮かんでいる質問の内容を正確に読み取った。

「一緒に来なかったら不審人物発見てことで警察に一報を入れるって言ったのよ。ついて来たところを見ると完全に訳ありってことね」

 ハバは小型車のおまけとしか思えない後部座席におさまっている子どもを肩の動きと視線で示した。
 この幼い姿で訳あり、なのか。
 目を向けたリオナの視線を感じたように子どもは顔を向けた。片方は黒、もう片方は金色に近い明るい茶色。2色の瞳のそれぞれの動きを追ったリオナは明るい方の瞳が義眼であることを知った。桃色の髪、2色の瞳、オレンジ色のTシャツにカーキ色のワークパンツ、そして仕上げに紫色のスニーカー。生きた色見本のような姿には不思議に心惹かれるものがあった。

「さあ、行くわよ。わたしは裏に回るからあんたたちは客席に入れて貰っといてね」

 進入したテロリストさながらの勢いで劇場の正面に突っ込んで車を止めたハバはリオナと子どもを降ろすとすぐに車を走らせ姿を消した。あとには忘れかけていた静寂が残された。

「・・・リオナ・・・?」

 下から透明に響いた声の方を見下ろすとこちらを見上げている子どもと視線があった。

「・・・そう、リオナ。あなたは?」

「ヒロン。男。リオナは大人?」

「大人で女」

「・・・ふぅん」

 どことなく納得し切れていない様子の少年と並んで歩きながら、リオナは改めて目の前にある劇場と周辺を眺めた。未来都市。町の中心部を表現するならこの言葉に尽きる。N.O.117。アルファベットと数字の短い羅列を名前に持つこの町は冬の極端な天候で有名な大陸の北部にある小さな都市だが、実権はほぼ市長が握っている。個人の独裁状態というのは歴史的には後に悪名やら革命やらがついてくる場合が多いが、リオナはこの町の市長独裁を幸運だと思っている。大都市の利便さに負けない設備と最先端の景観を望んだ市民のためにはこの未来都市的な中心部があり、古くからある手作業のぬくもりを求める市民のためにはリオナの店がある岬付近をはじめいくつものスポット的な区域があり、観光客のためには町の周囲の4分の3を占める山々を中心に玩具箱的な賑やかさが準備されている。持つべきものは財力無制限で器の大きな独裁者。ここ10年ほどでN.O.117(通称ノゥ)は国の内外から注目される都市になった。

 劇場は昨年完成したばかりの施設で、シンプルで優美な曲線と最新の技術を盛り込まれ町の代表としての顔を誇っている。
 しかし。
 ということは関係者のみで行われているはずのリハーサルの時間に部外者がそう簡単に入ることは許されないだろうというのは当たり前のことで。リオナはそれに思い当たり、短いため息をついた。ハバはあの容姿と存在感、陽気な口調と残酷な毒舌でこの劇場をはじめ大抵の場所はフリーパスな人間だ。だから平気でリオナとヒロンという名らしい少年を放り出したのだろうが。
 一見どこからでも入れそうにみえる堅固な硝子の要塞に近づく二人の姿は一体いくつのレンズに監視されているのだろう。今夜店に戻ったらちょっと調べてみよう・・・リオナはまっすぐ正面の入り口の前に立った。

「お疲れ様です。パスを見せていただけますか?」

 首を傾げながら現れた男の顔には曖昧な笑みがあった。
 地味な色に身体を包んだ長い髪をそのまま遊ばせっぱなしの年齢不詳の女(もしかしたら未成年の可能性あり)。舞台の衣装をそのまま身につけているように見える色とりどりの子ども(性別不明)。ほぼ確実にこのまま入り口を通すわけにはいかないはずの相手に向ける笑顔に含まれている嘘がくっきりと影となって浮かび上がる。
 リオナは無言のまますばやく思考した。

「ハバに・・・」

「ああ!ハバさんのファンの方ですか?今夜の初日は楽しみですね。チケットをお求めなら残念ながらすべて完売となっておりますが・・・ええと、他に何か?」

 こんなことならこの間シンイチが撮ったリオナに絡んで離れようとしない酔っ払いのハバ(酔っていたのは9割が演技)の写真かムービーを持って来るべきだったかもしれない。
 ふと袖に触れた体温を感じて見下ろすとヒロンの顔には真剣な表情があった。驚きに胸をつかれたリオナは思わず少年の桃色の髪に指先を触れた。柔らかかった。

「・・・音楽担当のブラッディ・・・大男でスキンヘッド・・・を呼び出してみていただけますか?彼ならハバよりは動きが取れると思うので」

 疑問、驚き、納得、不安。
 男の顔色を正確に読み取ったリオナは曖昧に微笑んで見せた。ミュージシャンとしては表の世界には決して顔を出さないブラッディのことを知っているリオナをどう扱っていいか迷っていたらしいその男は、やがて携帯電話を引っ張り出すと数歩離れて口早に言葉を送り込んだ。
 さて、結果はどう出るか。
 リオナが視線を向けると今度はヒロンの顔に笑みが浮かんでいた。
 大丈夫だよ。
 互いに心の中で呟いた気がした。

「上がって来い、リオナ。ハバがお前と連れの席だっていうハート型の蛍光紙を客席のど真ん中に貼り付けてた。あれはリハーサルしてる連中には目に毒だ」

 声がした方を見上げると2階の硝子が一枚開かれ、そこから顔を半分突き出した男が手で合図した。スキンヘッド。格闘技を極めるために生まれてきたような均整と筋肉の見本のような巨体。濃い色のレンズの奥の瞳は見えないが黙っていると誰もが鋭利な眼差しを想像する。
 薄闇に浮かび上がるハートの形を思い描いてリオナは唇を歪めた。ハバはいつもリオナに対して親愛の情をわかりやすすぎる形や言葉で表現する。それが誰のためを想ってのことであるのかよく知っているから文句は言わない。それよりも面白がってしまった方が毎日を楽しむことが出来る。

「行こう、ヒロン」

 今や歓迎のファンファーレさえ鳴り出しそうに広く開放された入り口を抜けて、二人は硝子の迷宮に入って行った。
 


2006.10.21

ひたすらに気分転換