Stage 3




 生めよ、増えよ・・・は誰の言葉として言われているものだったか。
 それとも、むしろ。触れよ、抱けよ、避妊せよ。

「シンイチ・・・」

「ああ」

 ベッドと彼の身体に残る女の残り香と手渡されたマグカップから立ち上るコーヒーの香りを祝福しながらシンイチは身体を起こした。よく事が終わってしまったあとに急激に醒める男心の類の話を聞くが、彼の場合にはそれはない。出会い、語り、触れて身体を重ね・・・行為が終わった後に互いの体温につつまれて眠り、一緒に朝を迎え、また少しの時間と言葉をともにして別れる。そのすべての間、気持ちは常に同じレベルを保ち続ける。
 今傍らにいる異性に祝福を。
 これから出会うはずの異性に祝福を。
 己の中のこの感情は欲望や性愛というよりも自分勝手な情愛や慈愛に近い気がすることもある。
 満たして満たされて与え合う眠りに乾杯。カップを持ち上げて一人乾杯したシンイチは隣りに滑り込んできた温かな身体に自然な動きで腕を回した。女はその慣れた動作に与えられた心地よさに薄く微笑んだ。

「・・・二度目はないの?本当に?」

「う〜ん、そうだね、基本的に。どんなに相性が良くて大切に思える相手でもさ、会うほどに見えてくるものがあるでしょう。その中にはできれば見たくなかったものもお互いにあるから。だから、今が一番大切」

 女はシンイチの引き締まった腕と身体をゆっくりと撫ぜた。

「次の相手に移る言い訳、と聞こえないこともないけれど。でも・・・あなた、最初から一度だけ、一晩だけって過ぎるほどにはっきり言ってたものね」

「そして、君もそういう相手が良かった」

「ええ、そうね。そうだったわ」

 ただ一晩、時間を他人と重ねたかった。その気持ちが等しく同じだったからこうして穏やかでどこか切ない朝を迎えることが出来る。シンイチはそのことをよく知っていた。

「じゃあ、アドレスも番号もいらないわね。でも、いいの?わたしの方はあなたのことをTV画面で一方的に見かけてしまうのよ。局を通して連絡だって取れる」

「いいんだ。どこかで見かけたら、せめて嫌な気持ちだけにはならないでおくれね」

「大丈夫・・・きっとそれと反対の気分になるから」

 そして、君は僕と連絡を取ろうとはしないよ。
 シンイチは空になったカップを持ってベッドから出た。
 頭の中で鮮明になりはじめた今日の予定をゆっくりと確かめる。取材の場所は劇場。相手は支配人と・・・ハバだ。シンイチは眉を顰めた。舞台初日の開演前にはハバの人格が極端に偏る傾向がある。今の状態はどちらだろう・・・・天頂に届かんばかりのハイ・テンションか、岩戸の奥への閉じこもりか。どちらにしてもどんな状態でも上手く言葉を引き出すのが取材の腕というわけで。
 リオナは来ているのだろうか。
 シンイチの頭の中に古書店の窓から月を眺めていた横顔が浮かんだ。
 あれは不思議に静かな夜だった。懐かしい感じがする楽器の音色がとてもよく似合っていた。

「バイバイ・・・シンイチ」

 ベッドの中から女が手を振った。

「あったかい夜をありがとう」

 シンイチは心からそう言った。




 場所を移動するのに車を運転していくのは、シンイチは実は苦手だ。本当なら他人が運転してくれている車か公共の乗り物に座っていろいろと物思いしながら気持ちを遊ばせていたい。それでも取材の時はカメラ関係の荷物が大きくて重いから、やはり自分で車を転がしていくことになる。
 魅力的な異性が運転してくれる車なら夢見心地なんだが。
 思った時、ふと、知っている中では最強と認める美女の運転の凄さを思い出した。あれは駄目だ。切り返す前に刺さる言葉の連射と物理法則に逆らう身体への重圧でしばらく再起不能の気分になる。
 思ったよりもすでに沢山の車がとまっている駐車場に乗り入れ、カメラバックを引っ張り出して肩に担いだ。被写体としてのハバの可能性を思うと気分が高まる。撮ったデータに後で修正を加えるヤボはしたくないし必要ない。明るさもコントラストも構図もすべてをその場で決めて撮り切りたいと願う。
 もらったパスはどこに入れておいたんだったか。
 かろうじて自由なままの指先であちこちのポケットを探りながら歩いていくと入り口の硝子が開いて男が出てきた。

「ご苦労様です。荷物、お持ちしましょう」

「ああ、悪いね。この三脚だけ頼む。ハバ、まだリハーサル?支配人は?」

「リハーサルは途中でしばらく中断があったのでちょっと長引いてます。支配人はハバさんのご友人を席に案内した後でそのまま話し込んでいるようで・・・」

「じゃあ、僕をその客席に連れてってくれる?」

「はい!」

 シンイチは異性にだけではなく同性にも好かれるタチだ。
 張り切った様子で前を歩く男の背中を見ながらシンイチは首を傾げていた。
 リオナは無口を絵に書いたような存在だ。支配人はあの静かで頑固な性質を打ち負かすほどの話し上手か魅力の持ち主なのだろうか。シンイチにはそんな人間の姿は到底想像できないのだが。
 二人は入り口をくぐった。反射的に監視カメラの位置を探ったシンイチは見つけたレンズに最上の笑顔を向けた。


2006.10.21

ただ書きなぐってます・・・・